海が楽しくなりだした高校での臨海学校
そんな永井さんの海の原体験は溺れたことにある。幼少期に家族で出かけた海で溺れ、同じ日にプールでも溺れたというのだ。以来、すっかり水が怖くなってしまったが、転機は高校時代に訪れる。
進学したのは夏に臨海学校を催す都内の高校。1週間近くを千葉県の勝浦にある施設で過ごし、毎日海で泳ぐ練習をして最終日には3㎞ほどの遠泳に挑むプログラムを伝統的に行っていた。
苦手な海で過ごす日々に最初はつらさばかりを感じていたが、やがて穏やかな心境へ。その変化は、伴走艇から声をかけサポートしてくれる先生や先輩、自分と同じく海を泳ぐ仲間の存在に気付けたときに訪れた。
帰京する際には海に心地良ささえ抱き、ネガティブな印象は払拭されていた。
以来、もっと海の近くにいたいと思うようになる。大学ではライフセービング部に入り、在学中は常に日焼けをしていたほど湘南の片瀬江ノ島で多くの時間を過ごした。卒業後も海から離れたくないとタヒチに職を見つけて向かい、黒真珠を養殖する仕事に就いた。
「現地の生活は社会的なインフラのない養殖場で自家発電装置を稼働させることに始まり、朝食をつくり、7時から15時まで仕事するというもの。そのあとは海で泳ぐなり潜って魚を突くなり、海と暮らすタヒチアンの生活を肌で感じながら過ごしました。
こういうシンプルな生活もいいなと思ってはいたのですが、ずっと続けていけるのか自問すると、しんどさを感じるところもあって」。
2年ほど滞在したのち、20代後半に帰国。その際、日本社会のことをよく知らない自分に気がついた。改めて日本でどう生きていきたいのだろうかといった問いと向き合い、「海やアウトドアスポーツに接する暮らしがしたい」と答えを出す。
そこでかつての仲間と葉山でカヌークラブをつくり、アウトドアフィットネスクラブ「BEACH葉山」の立ち上げに運営で関わるなど、海のコミュニティづくりをしながら、自分の仕事を生み出していこうと考えた。
やがて逗子に根を下ろそうと決める出来事が訪れる。それは結婚、そして父になったこと。見えている世の光景がガラリと変わっていった。
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