言葉③「苦しさがあっても、そこから逃げられないのなら、その中で楽しめばいい」
Q:今西高辻󠄀さんは「鬼滅の刃」でも話題になった宝満宮竈門(かまど)神社で宮司をされていると聞きました。 私の父も祖父も竈門神社でもご奉仕をしていて、私が30歳の時、太宰府天満宮の宮司就任とあわせて竈門神社の宮司にも就任しました。以来「いつか竈門神社を、本当にいい神社にできればな」と思い続けていたんです。
竈門神社というのは方除けの神様で、縁結びの神様、また御祭神が女性の神様なので、心優しい神社、女性がお参りしたい神社をイメージし、平成25年(2013)、創建1350年の節目にあたり、社殿の修理と授与所の新設をしました。
ちょうどインスタグラムなどSNSの普及もあって、お参りが増えだしたんですね。宮司就任から30年経っていました。
Q:大きな使命と、責任と歴史を背負う中で、モチベーションが下がってしまうことはなかったのですか? 逃げようがないですから。苦しいと思えば、ずっと苦しい。重たいんです。背負いきれないと思ったことも、何度もあります。
でも、そう考えても、その場から逃げるわけにいかないんで、じゃあどう楽しむのか。逆転の発想ですけど、その中でどう自分らしく、先祖とともに生きれるかな。
苦しさも、そこから逃げられないなら、その中で楽しもうと思いましたね。辛いこともいっぱいあったけど、「辛い」をちょっと変えれば「幸せ」って字になりますから(笑)。
Q:西高辻󠄀さんが苦しい時を乗り越えるきかっけになったり、人生に影響を与えた言葉だったりはありますか? よく家内に言われていた「あなたの本業は何?」って言葉ですね。私が横に逸れそうになったり、他のこともしたいなと思う時、優先順位をつけなければいけない。
道を外しそうになることは、人間だからあるし、他にやりたいこともいっぱいあった。でも最終的に、「あなたはどの道で生きてるの、一番大切なのは天神さまにご奉仕することじゃない?」って。
他の様々な役がまわってきて、受けることがあっても、最終的には一番優先しなきゃいけないことは何なのかってことですよね。
Q:西高辻󠄀さんにとって「宮司」という仕事をする上で大切にしてきたものは何でしょうか? めぐり逢い、出会いが、一番大切なことだと思います。私も、いろんな人と私もめぐり合ったおかげで、今があるという感謝の気持ちが自分の根底にあって、「じゃあ自分が何が出来るのかな」と思って、自分のできる精一杯のことをやっていくことだと思うんですね。
だから、太宰府天満宮を「文化財」って言われるのがあまり好きじゃないんです。少なくとも、神社は生きています。この時代に生きている。私にとっては御本殿は天神さまのお住まいだと思っています。
Q:貴重なお話をありがとうございました。最後に、西高辻󠄀さんの今後の目標を聞かせて下さい。 まず命がある限り、太宰府天満宮の未来を見続けていきたいと思っています。ある意味では、今を支えてくれてる職員たちは、本当に子どもの頃から見続けてきた子供たちなので、彼らがこの今の責任ある世代を、次の世代にどうやってバトンタッチしていくか、そのことは見続けていきたいなと思います。
地域に対してもお役に立って、元気でいる限り何でも言われたことはイエスと言うことを前提に、生きていきたいですね。まだ、そういうお声がかかるのは、多分役割があるんだろうなと思っています。
[Profile]西高辻󠄀信良(にしたかつじ・のぶよし)●1953年(昭和28年)、福岡県太宰府市生まれ。慶応義塾大学文学部を卒業後に、國學院大學神道専攻科修了。1983年に太宰府天満宮および竈門神社宮司に就任。2019年太宰府天満宮の宮司職を長男に譲り、宝満宮竈門神社を本務神社とする。祭典奉仕に務める傍ら、太宰府天満宮幼稚園園長として教育分野に携わるほか、九州国立博物館評議員や、2022-2023年度福岡ロータリークラブ会長など、様々な役職を兼任している。