さて、『孔雀王』でも述べられているように、エントロピーは「乱雑さ」の尺度である。あるべきものがあるべきところにまとまってある状態はエントロピーが低い。しかし、放っておけばエントロピーは増大する。
エントロピーを「部屋のちらかり度合い」でイメージすると、一気に理解しやすくなるはずだ。ちなみにわが家は毎日、このエントロピー増大の法則を体現している。
大人が部屋を掃除するとしよう。すると、基本的に本は本棚へ、おもちゃはおもちゃ箱へ、箸は台所へ収まるはずだ。この状態はつまり、「エントロピーが低い」ということになる。
そこへ、わが娘たちを部屋へ放ってみる。するとたちまち、箸はトイレへ、本はおもちゃ箱へ、おもちゃは本棚へ、キーホルダーは行方不明…。つまり、エントロピーが増大する。
幼い子どもがいる家庭では、日々子どもたちはエントロピーを増大させ、親はエントロピーを下げるためにカロリーを消費している。エントロピーなんで仰々しい名前を使わなくても、子育て中に誰もが体験する日常だろう。
エントロピーが高い文脈ほどはっきり発音する
さて、では、エントロピーが言語にどのように関係するのか?
エントロピーは「乱雑さ」の尺度であるが、「予測可能性」の尺度と言い換えることもできる。たとえば、私が部屋を片付けた後であれば、その部屋のどこに何があるかはだいたい予測できる。物を探すのは簡単だ。本は本棚にあるだろうし、箸は台所にあることが予想される。
しかし、わが娘たちが部屋で大活躍し、エントロピーが増大してしまうと、予測不可能性が一気に上がる。別の言い方をすれば、エントロピーは「だいたいどれだけびっくりするか」の尺度と言っても良い。だって、箸がトイレにあるんだよ? 箸がトイレにあったらびっくりするでしょ?
「エントロピー=予測不可能性の尺度」と解釈すると、一気に言語学的な分析に役立つようになる。そして私が飛びついた理論とは「人間は、エントロピーが高い文脈のときほど、発音をはっきりさせる」というもの。
要は、「人間は、次にどんな単語が発せられるかわからない文脈のときほど、その単語をはっきり発音するよ」と言っているのだ。
簡略化した例で考えるとわかりやすいかもしれない。次の2つの文を考えてみよう。
① 昨日、お昼に ______ を食べたよ
② 昨日、お昼に焼肉屋で_______を食べたよ
3/4