Photo by Andreas Rentz/Getty Images for Laureus
当記事は、「FINEPLAY」の提供記事です。元記事はこちらから。 「ローレウス世界スポーツ賞 2022」アクションスポーツ選手部門にノミネート、日本が世界に誇るスケートボーダー堀米雄斗選手・西矢椛選手について語る。
40 を超える国と地域でスポーツを通じた社会貢献活動に取り組んでいるローレウス(本部:ロンドン、 設立:2000 年)は、今年 4 月に開催予定の「ローレウス世界スポーツ賞 2022」を前に、ローレウス・ アカデミーメンバーであるトニー・ホークのインタビューを実施した。
トニー・ホークは、1968 年生まれ、アメリカ出身のスケートボーダーで、14 歳でプロスケートボーダーとなり、1999 年 X ゲームのハーフパイプにおいて史上初 900°(2 回転半)を成功させ、その名を世に轟かせた。その後、2009 年、史上初となるスケートボードの殿堂入りを果たし、“スケートボード界の神”と呼ばれるようにもなった。
2003 年にローレウス・アカデミーメンバーに就任。自身のライフワークとして、アメリカ国内の 600 以上あるスケートパークに寄付を行うトニー・ホーク財団も設立し、 スポーツを通した社会貢献活動を積極的に行っている。今回、4 月に受賞発表を控える「ローレウス世界スポーツ賞 2022」を前に、「アクションスポーツ選手部門」にノミネートされた選手や、念願叶ってオ リンピック正式種目となったスケートボードについて話しを聞いた。
※トニー・ホーク(以下:T)
ローレウスアクションスポーツ選手部門ノミネート選手について
Q)「ローレウスアクションスポーツ選手部門」に、日本から堀米雄斗選手と西矢椛選手の 2 選手が選出さ れました。二人の印象を教えてください。 T)雄斗には何度か会ったことがあります。彼は素晴らしい才能を持った安定したスケーターです。多くの人が、オリンピックでナイジャ・ヒューストン(アメリカ)と互角に戦えるのは彼しかいないと思っていたと思います。
ナイジャは(オリンピックで)本来彼が持っているパフォーマンスを十分に発揮できていなかったので、雄斗の実力が確実にナイジャを上回っているかどうかは判断できませんが、優勝候補を聞かれれば誰もがナイジャと雄斗と答えたでしょう。
雄斗はトリックの選択がとてもうまく、スタイルは素晴らしく、とても安定し、パワフルです。オリンピックの決勝戦では、そのすべてが発揮されました。
オリンピックで初めて椛の滑りを見ましたが、彼女の安定感と大きな障害物への恐れのなさには感心しま した。彼女がオリンピックを制した理由は、大きなレールや大きなギャップに勇気をもって向かっていったからです。そして、彼女はゆっくりと着実なアプローチを行っていました。
難しいことを行うのではなく、挑戦するたびに少しずつ難易度を上げていき、最終的にはスコアでトップに立っていたのです。 そして、最後のトリックで勝利を引き寄せ、金メダルを獲得したのです。あまり簡単には言いたくありませんが、彼女の優勝は一目瞭然でした。
また、彼女には、周囲の雑音やプレッシャーをシャットアウトする才能があったと思います。レイサ・リール(ブラジル)が注目を浴び、絶大な人気を誇るなかで、ライバルの存在に心が左右されないように保つことは容易ではありません。でも、彼女はそんな中で優勝を勝ち取りました。
Q)堀米選手や西矢選手の成功が、日本のスケートボード界に何をもたらすと思いますか。 T)すでに多くの新しい可能性が広がっています。新しい施設の建設も進んでいると思います。スケートボードは、日本では常にアンダーグラウンドな存在でした。80 年代の全盛期から 2000 年代初頭にかけて、目新しい存在とされていました。ただ、今回世界チャンピオンが誕生したことで、そのポジションは変わり、世の中に広く受け入れられたのだと思います。
Q)「ローレウス復活選手部門」では、頭蓋骨を骨折したにもかかわらず、オリンピックで銅メダルを獲得したスカイ・ブラウン選手がノミネートされています。彼女の印象を教えてください。 T)スカイは、スケートに対して非常にユニークなアプローチをしていると思います。彼女は、周囲が怖くなるくらい大胆不敵で、大きなものや危険なものにも挑戦しますからね。そして、彼女は多くの選手がキャリアを終えてしまうような本当に恐ろしいクラッシュを経験しました。
私は、彼女が入院中にも関わらず、 大きな決意を持って「私は戻ってくるつもりだ」と宣言しているのを見ていました。そして彼女は予定より 1 週間も早く退院し、スケートボードに戻ってきました。そして、9 月にソルトレイクシティで開催された大会に復帰し、見事に優勝したのです。オリンピックでは銅メダルを獲得し、大成功への道を歩んでいます。
スケートボードとオリンピックについて
Q)オリンピックという舞台で、初めてスケートボードを観戦した時の感想を教えてください。 T)この瞬間を長い間待ち望んでいました。スケートボードは十分な歴史を持っているので、少なくとも スノーボードが冬季オリンピック競技として加わった時点で、スケートボードも加わっているべきだったとは思いますが、ようやく加わることができ、さらに、実際にその場に立ち会うことができたのはとても光栄なことです。
選手の家族でさえ、その場に行くことはできなかったので、自分がどれほど幸運だったか分かります。私は誰よりも早くパークコースに入るという喜びを味わわせてもらいました。許可を得たわけではないですが、思わず手にしていたスケートボードに飛び乗ってしまいました。
Q)長年にわたり、「スケートボードがオリンピックに貢献しうるポジティブな競技である」と発言されてきました。その発言がついに認められたと感じましたか。 T)各国がパークを建設したり、その地域でスケートボードをサポートするようになったりしているという点で、スケートボードの国際的な発展には大きく貢献できたと思います。2 年後のパリ大会では、さらに素晴らしく、よりエキサイティングなものが見られると思います。
Q)今後のスケートボードに対するビジョンを教えてください。パリ大会でも引き続きスケートボードが実施されることは素晴らしいことですが、次のステップは何でしょうか。 T)バーチカルがオリンピックの正式種目となることを願っています。バーチカルはとてもユニークで、他の種目にはない魅力があり、多くのスケーターが 80 年代にはスケートビデオで目にし、90 年代には X-Games で目にし、いまだにその人気が衰えない種目です。正式種目に加わる方向に進んでいるように感じますが、東京で 2 種目採用され、それが定着しているということは、3 つ目の種目の採用に向けては 一筋縄ではいかないとも思っています。
Q) スケートボードがオリンピック種目になりましたが、ルールや慣習のないストリートで生まれたもののロマンティシズムは失われていませんか。どのような影響があると思いますか。 T)ロマンティシズムは失われていないと思います。むしろ、スケートボートの存在を知らなかった、理解できなかった子どもたちの目を開かせることになるかもしれません。オリンピックの種目になったり、報道されるようになったりしたことで、子どもたちがスケートボードに興味を持つきっかけになるかもしれません。
本当に興味のあるものを見つけたときは、フェンスを飛び越えたり、手すりに乗ったりしたくなるのです。それは今でも私たちの文化の大きな部分を占めていて、スケートボードという傘の下にそのすべてがあることは、今でも象徴的なことです。70 年代から 80 年代は競技大会が中心で、80 年代から 90 年 代にかけては、ビデオスケーターやソウルスケーターに注目が集まりました。
しかし、それでも競技的要素は常に存在していました。そして、それが X-Games で強くなり、さらにオリンピックでも実現しまし た。オリンピックでは新たなことをしているわけではなく、私たちが何十年もやってきたことと同じフォ ーマットを、より大きな会場でやっているだけなのです。
これからのスケートボードについて
Q)2022 年に活躍すると思うスケートボーダーのトップ 5 を教えてください。 T)ナイジャは必ず入ってくるでしょう。先にも述べたように、オリンピックに向けて、彼は最も注目されていた選手です。彼は今でも私たちが見た中で最も素晴らしい技術を持つスケーターの一人です。だから、彼は間違いなく上位にいます。ジミー・ウィルキンス(アメリカ)は、ここ最近ではおそらくトップバーチカルスケーターです。
彼は、バーチカルを知らない人やその楽しみ方を知らない人の考えを変えてしまうような選手です。四十住さくら(日本)は、非常に難しいトリックを次々と披露し、女子スケートパー クを牽引しています。彼女の新しい映像を見るたびに、トップ 10 に入る難易度のトリックをやっていることに感動しています。私自身は、リジー・アマント(アメリカ)の大ファンです。私のチームに所属しているからという身内の理由もありますが、彼女は女性にとって、スケートボードの最高のアンバサダーの一人でもあると思います。
Q)スケートボードがこの人気や熱を継続し、成長を続けるためには何ができると思いますか。 T)まずは公園を作ることです。これこそが、観客を増やし、子どもたちにスケートボードを提供するための基盤だと思います。そのためには、より多くの施設が必要です。私の財団や Skateistan(アフガニスタン) が行っていることはこうした活動です。
Q) スケートボードを志す人のためのどのようなことができるか。あなたのゴールはどのように変わりまし たか? T)スケートパークは、創造性とコミュニティの拠点であり、スケートをすることを認めてもらえなかったり、 周囲から敬遠されている子どもたちに安全な場所を提供するものなのです。このようなことは、地域社会にとって非常に重要なことだと思っています。だからこそ、私はスケートボードの世界に何かを還元したいという情熱を持っていますし、自分自身の感覚やコミュニティを見つけた場所でもあります。スケート ボードは私にとって第二の故郷であり、決して失われることのない場所でした。
Q) スケートボードを通して子どもたちが学べることは何ですか。 T)忍耐力の大切さ、自分を信じること、自分の声で自分のペースで何かをすること、そして、個々が自分の夢を追いかけながらも、コミュニティとして活動することの大切さも体感できます。
Q)あなたは、14 歳でプロのスケートボード選手となりましたが、その後スケートボード界が前進してこのような位置に到達することを想像していましたか。また、今のスケートボードは正当に評価されているのでしょうか。 T)今では日常的に行なわれていることのほとんどは、私が 14 歳だった当時は突拍子もないものと思われていました。あるいは、みんな一度だけ挑戦して終わりというようなものだったかもしれません。これは、若い世代がベテランや先駆者に刺激を受け、それが出発点であることを理解していることと関係があります。
例えば、キックフリップは、今の子どもたちが最初に学びたいと思っているトリックの一つです。でも、キックフリップが発明されたのは私が 15 歳の時で、ロドニー・ミューレン(アメリカ)しかできませ んでした。それが今は当たり前になっているということは、スケートボードがいかに進化しているかということを示しています。スケートボードは、ボールやスティックを使ったスポーツと同じように、メインストリームのスポーツとして受け入れられていくと思います。
冬季オリンピックについて
Q) ショーン・ホワイトがキャリアの最後となるオリンピック出場を果たしました。ショーンがアクションスポーツやボードスポーツに与えた影響、またこれからのショーンに何かアドバイスはありますか? T)これだけ長い間、高いレベルで競技を続けていることはとても大変なことです。そして、突然それを辞めることも同じくらいハードなことです。彼へビデオメッセージを送ったのですが、私から彼への唯一のアドバイスは、「(ボードに)乗り続けなさい、でも楽しむためにやりなさい。自分自身のために。それがあなたの原動力になります」でした。
勝つことが目的ではありません。勝利のためではなく、自分の延長線上にあるもの、そしてその出口が大事なのです。私は、彼が何歳までそれを続けることができるかの生き証人になるのだと思います。でも、正気を保つためにも、スノーボードに乗り続ける必要があると思います。そして、もし彼がスケートボードに戻りたいのなら、彼は私がどこにいるのかを知っているはずです。
自身について
Q)1999 年 6 月、あなたは 12 回の挑戦の後、スケートボーダーとして初めてトリック 900 を達成しました。その時のことを、あなたは「人生最高の日」と表現しました。これまでに達成したすべてのことを考慮しても、今でも人生最高の日だと思いますか。 T)私の“キャリア”の中で最高の日でした。私の人生で最高の日は、自分の子どもたちと過ごしてきたので、過去にそのようなコメントをしたことは子どもたちに謝らなければなりませんね。しかし、私の競技人生の中で最高の日であったことは間違いありません。そのおかげで、競技から、大きなアリーナツアー、 他の大会での成功、テレビ出演など、様々な機会に恵まれることになりました。あれは間違いなく私の足がかりとなりました。
Q)52 歳のあなたは、540°と 720°を再び成し遂げました。53 歳になったあなたは 900°に挑戦しますか。 T)膝は大丈夫だと思います。首には問題があるかもしれません。というのも、900°のクラッシュはいつも激しいむち打ちになってしまい、私はそれをたくさん経験してきました。回転させることはできると思うし、調子が良ければ 2,3 回は成功させることができるでしょう。しかし、私には(900°に)挑戦することのリスクとリターンのバランスがとれていません。もし挑戦することで世界平和がもたらされるとか、 パンデミックがなくなるとかいうのであれば、挑戦してもいいかもしれません。
■Laureus(ローレウス)とは
「スポーツの力を持って社会問題に立ち向かい、スポーツの素晴らしさを世の中に広めること」を目的に、スポーツを通じた社会貢献活動に取り組んでいる国際組織です。各国のトップアスリート、レジェンドアスリートから成るローレウス・アンバサダーやローレウス・アカデミーメンバーなどともに、 現在は 40 を超える国と地域にて 200 以上のプロジェクトの支援を行っている。