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なお、彼女の人生にとってお母さんの存在が非常に大きいという。

「シングルマザーでホテルの支配人として働いていた母は、忙しくて授業参観にも来てくれない。私が寝た後に帰ってくる感じで、『お金さえくれれば、夜ご飯なんかいらないから』と言っていた反抗的な時期も少しありました」。



しかし、本当は「常に一人娘のことを見守ってくれていた」ことをちゃんとわかっていた。

「私が病気で入院したときは、大好物の鮭マヨご飯を差し入れてくれました。鮭フレークにマヨネーズを混ぜてご飯にかけるやつです(笑)」。



お母さんの教育方針は「好きなことをとことんやりなさい」というもの。短大1年生のとき、心愛さんはカンボジアの課題解決プログラムに参加したいと頼み込んだ。

すると、お母さんは「そこで得たものを人生に活かせるなら行きなさい」と言ってくれて、10日間で30万円かかる費用を出してくれたという。

シェムリアップという街の繁華街、パブストリートを散策する心愛さん。

シェムリアップという街の繁華街、パブストリートを散策する心愛さん。


今回、そんな彼女の推薦者は社長の島田正孝さん。創業89年になる同社の5代目だ。心愛さんの仕事は社長直下なので、おのずと交流の機会も増える。

島田さんはパンクバンド「ニューロティカ」の大ファン。

島田さんはパンクバンド「ニューロティカ」の大ファン。


ボーカルのあっちゃんは八王子の菓子店、「ふじや」の店主でもあり、この社長室にも時々遊びに来るそうだ。ところで、御社の看板娘はいかがですか?

「50人以上の応募者の中から数名しか採用しませんが、その中でも彼女は会社の価値観への共感度の高さが際立っていました。実際に、入社後は周りにポジティブな影響を与えてくれている存在。そもそも、私直下で仕事を任せるのは初めてなんですよ」。

続けて、島田さんが「ほら、プレゼントの話しなよ」と促す。

「あ、母親の誕生日が1月10日なんですが、お年玉は全部お母さんへのプレゼントに使ってきました。子供の頃、近くにあったジュエリーショップのTSUTSUMIに行って、店員さんにお金を見せながら『これで買えるネックレスをください』って言ったらしいです。心配して後ろから付いてきていた母親から聞きました」。

泣けるエピソードを聞いたところで、再びボタン行脚の旅へ。そこでは、ちょっと驚くべき光景を目にした。その名も「1000のボタン」。さまざまな種類のボタンがぎっしりと並んでおり、押すと点灯するのだ。

ボタンを押しまくる子供たち。

ボタンを押しまくる子供たち。


島田さんが言う。

「ボタンを押したがる子供が多いんですよ。でも、普通はエレベーターのボタンを自由に押すことはできないから、この1000のボタンを作りました。実際には1048個あります」。

定期的に開催している工場見学の日は、「30秒早押しチャレンジ」を行う。そこでは、嬉々としてボタンを押す子供たちの笑顔が見られる(2月24日時点では休止中)。

なお、「1000のボタン」の知名度が広まり、メディア取材が殺到したきっかけは、社員による下のバズツイート。

19.5万いいねと、バズりは継続中。

19.5万いいねと、バズりは継続中。


ボタンはまだまだあった。朝、出社した社員の業務は「やる気ボタン」を押すところから始まるのだ。

ボタンには「変化を楽しむ」「初心忘るべからず」などの言葉が記されている。

ボタンには一人ひとり自分を高める言葉、「変化を楽しむ」「贅沢は味方」など思い思いに書かれている。


これを押すことで社員一人ひとりが出社と退社の切り替えを行っている。

心愛さんは「挑戦」だった。

心愛さんは「挑戦」だった。



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