「腕時計と男の物語」とは…… 「いらっしゃいませ。レギュラーですか、ハイオクですか」。
滑り込んできた車のウインドー越しに声をかける。そして給油口にノズルを挿し入れ、給油をスタート。まるでお腹を空かせた愛犬に餌を与えるようで、目にも留まらぬ速さで進むメーターの数字は満腹度を示すみたいだ。
「ヒストリーク・アメリカン 1921」K18WGケース、36.5mm幅、手巻き。ベルトはブラウンとボルドーの二本セット。360万8000円/ヴァシュロン・コンスタンタン 0120-63-1755、車「テスラ モデル3」479万円〜/テスラモーターズジャパン 03-6890-7700
親戚のガソリンスタンドでバイトを始めてもう半年。女子高生ならもっと割のいい仕事もあったけれど、車が好きで将来エンジニアを目指していた。
その第一歩であり、何よりもいつも車の身近にいたかったからだ。それに看板娘なんて言われるのもちょっとうれしい。
常連には気になる一台があった。古いオープン2シーターだ。給油中、多くのドライバーが車内から出ないのに、このオーナーだけは愛車を愛でるように一周する。そんな彼と交わす会話も楽しい。
あるとき、腕元の時計に目がいった。最初は目の錯覚かと思ったが、ダイヤルが斜めになっていた。
「ああ、これはハンドルを握った状態で正対するようにできているんだよ」と教えてくれた。
1920年代、アメリカにモータリゼーションが訪れ、当時の自動車愛好家がオーダーしたのが始まりだとか。
滑らかな四角のケースの角にリュウズを備え、まるでガソリンの携行缶のようだ。そんなスタイルも車好きなら魅かれるだろう。
ヴァシュロン・コンスタンタン「ヒストリーク・アメリカン 1921」という時計だそうだ。
「当時はアールデコが全盛で、第一次大戦後の明るく華やかな時代の気分を誰もが謳歌していたんだ。その中で車や腕時計も自由で躍動感ある最先端の技術だったのさ。今でいうハイテクだね」。
それが現代では内燃機関の車も機械式時計もクラシックだからね、と彼は笑った。ウエスを当てた給油口から普段以上に丁寧にノズルを抜き、私は答えた。
「でも走り続けたいという気持ちは変わらないですよね。周囲がどんなに変わってしまっても抗って。そんな思いが伝わりますよ。この車にもその時計にも」。
大人びてそんなことを言ってしまったのは、自分自身に対してでもあったからだ。
いつか私が愛車を走らせる頃、それは今とは変わってしまっているかもしれない。それでも私は走り続けるだろう。その腕ではきっと機械式時計が時を刻んでいるはずだ。
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