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2019.07.15

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「余命5年」告げられた人気ラッパーの絶対に“怯まない”生き方【後編】

前編の続き〉

人気ラッパーとして多忙を極めるなか、突如として脳梗塞に見舞われ、左目を失明。腎臓も病み、40歳という若さで「余命5年」を告げられたダースレイダー。後編では、病気を経て辿り着いた独特の死生観と、彼の右目を通して見たオーシャンズ世代たちの生き方について話をうかがう。


万が一のリハーサル? 手術前夜「座頭市ライブ」を決行した理由




実はダースレイダー、左目の視力を失ってから1年後、今度は右目から出血。両目ともに見えなくなるという緊急事態に襲われていた。手術で右目の視力は回復したものの、手術前夜、ダースレイダーは何も見えない状態である試みに挑戦する。

「あのときは一時的に両目が見えなくなりました。医者からは『手術に失敗すれば、このまま両目の視力を失います』と言われていたので、そうなったときの予行練習というか、シミュレーションも兼ねて、何も見えない状態でライブをしたんです、手術前夜に。その名も『座頭市ライブ』!(笑)」。

悪人を退治する盲目の刺客「座頭市」にインスピレーションを得て、危機的状況を逆手に取るように両目が見えないままライブを決行したのだ。そのメンタルの強さは一体……。

「世界にはレイ・チャールズやスティービー・ワンダーといった、誰もが知る盲目のアーティストがいる。もし両目が見えなくなったとしても、彼らという存在がある。彼らにできて自分にできないことはないかなって」。

そうかもしれないが、そう簡単に気持ちの切り替えなどできるものだろうか。

「病気は不幸だし、しんどい。それは間違いないんです。でも、病気で倒れる前の僕と、今の僕。どちらが楽しいか、どちらが幸せかと言われれば、簡単には比較できません。今の自分だからこそ考えられること、出会える人、話せることが確実にありますからね。病院にいた期間は長くないですが、最もハードで多くを学んだあの時間は、僕にとってまさに“通過儀礼”で、ひと回り成長したと思っています」。


“マイナスからの逆転”。実践するヒップホップの真髄




こうしたダースレイダーの考え方の根底にはヒップホップの哲学がある。

もともと、遊ぶ金もないアメリカのマイノリティたちが公園にターンテーブルを持ち出して遊んだのが音楽になり、カルチャーになった。マイナスの状況をプラスに変える逆転の発想こそがヒップホップの原点だが、ダースレイダーは闘病というチャプターにおいてもこのヒップホップの真髄を地でいった。

「病気や事故、先天的でも後天的でも自分の不遇をマイナスとして抱え込む人は多いけど、僕はマイナスがプラスに変わることを証明したかったんですよ。自分の経験をラップしたり、本にしたりすることで誰かが共感してくれる。病人をレペゼン(代表)して発信することで、誰かの役に立つかもしれないから。

この眼帯もそう。これは自分でプロデュースする眼帯ブランド『OGK』のものですが、既存のものはどれも丹下段平みたいなのばっかりでつまらなかったから自分で作りました(笑)。病人は弱った存在というイメージを持たれているなら、その発想を逆転させ、自分が『楽しくて派手な病人』になって病人像を覆す。そうすることで『病気でも元気でいいんだ』っていう気付きを誰かが得てくれるかもしれないから」。


短命は運命か? 両親の死と病気を経て辿り着いた死生観




両親は若くしてこの世を去り、自身も40歳という若さで「余命5年」を告げられたダースレイダー。そんな彼は今、どんな死生観に辿り着いたのか。やはり短命かもしれない自分の運命をどう受け止めているのか。

「妻にも伝えていることですが、僕は遺書をUSBに入れて持ち歩いています。いつバタンッ!ときても大丈夫なように。僕が死んだときはこうしてほしいということが書いてあります。遺書はその都度で内容を更新するので、そのたびに死について考えますよ。だからこそ、今生きているということも実感するんですよね。

もちろん、死は恐れるもので、できるなら避けたいものですが、僕の場合は脳梗塞のときに一度死にかけているので、今さら恐怖はありません。いくら死にたくないと祈っても、“その日”は突然やってくるでしょう」。

字面だけ見ると、生を諦めているように見えるかもしれない。しかし、この男の口ぶりにネガティブさはないし、かと言って達観しているふうでもない。

「もちろん、僕だって暗い気持ちにもなるし、落ち込むときもあります(笑)。しんどくてくよくよしたり、悩んだりする状況を僕はダメだとも思わない。その状況を愛してあげるのもいいと思う。ただ、ずっとくよくよしてたらもったいないなって。だったら、状況がよくなる方を僕は選びたい。死ぬまでは、いくらでも生き方を選ぶことができますから」。


親として子供たちに伝えたい「多様性」の重要性




ダースレイダーは小学生と保育園児の女の子をもつ2児の父親でもある。親として、娘たちにどう接しているのだろうか。

「世の中にはいろんな人がいて、いろんなことが起きている。それを理解する感受性をどれだけ育てられるか、豊かな世界にどれだけ触れさせてあげられるかが、僕の、親としての責任だと思っています。意識的にたくさん会話をして、一緒にいる時間を増やすようにしていますね。上の子にはもう教わることも出てきて、『あれ? 俺もう抜かれてる?』って感じる瞬間もありますが(笑)」。

“世の中にはいろんな人がいる”。ダースレイダーが闘病生活で学んだことでもある。

「病人って、会社も学校も休んで、社会からいないことにされるじゃないですか。病気になったことで、そういう場所から社会を見る視点を僕は授かりました。世の中はいろんな人が生きているから楽しいわけで、病人だってそこの一員のはずなんです。もっとハッキリとそういう社会を実現するためにも、意図的に『アウトサイダー』でいることを心がけてるんです。

例えば、ラップでオーケストラと共演したこともありますし、叔母が亡くなったときの斎場でも歌いました(笑)。子供の保育園の行事や小学校のPTAイベントにもラップで参加したことがあります。普段、自分が属さない場所へ積極的に出かけていく。これはモットーみたいなものです。

僕がそこにいることで『この人、なに? 誰?』っていう違和感が生まれる。派手な髪型、派手な眼帯、派手な服ですから当然ですよね(笑)。でも、僕みたいなアウトサイダーが普通にそこにいることで、『あぁ、ここはいろんな人がいていい場所なんだな。自分もいていいんだな』って感じてもらえる。

おれがヒップホップをやっているのもそう。売れる、売れないよりまず、『こんなヤツが歌ってるぞ』と知らしめたい。こんなヤツがやってる音楽ってどんなんだろうって興味を持ってもらいたい。そして多様性がもっと認められればそれが最高ですよ」。


同じ時代を生きるオーシャンズ世代たちへ




多様性と言っても、それを実行するのは簡単ではない。現在42歳のダースレイダーも、いわゆるオーシャンズ世代。一般的には、仕事もプライベートも安定し、趣味を楽しむ余裕ができ始める世代である。

一方で、ルーティンをこなす日常にジレンマを感じる男たちも少なくない。例えば「やっぱり自分のやりたいことをやりたい」と転職を考える人もいるだろう。何度倒れても「ダースレイダー」というオリジナルの生き方を貫くこの男の右目には、こうして自由と責任の間で揺れ動く同世代たちがどう映っているのか。

「そのルーティンの日々が楽しいなら全然そのままでいいと思いますよ。でも、もし楽しいと感じていないなら、楽しくなる方法を探せばいいんじゃないかな。仕事もそうですよね。新しいことにチャレンジしたくて転職したいと思うなら『やってみればいいんじゃないの?』って思うし」。

しかしダースレイダーはこうも続ける。

「まぁ『自分の好きなことして生きろ!』って言えば簡単だけど、僕は転職や新たな挑戦を躊躇してしまう気持ちもわかります。日本の場合、“変わらないこと”が良きことで、忠誠心が高いヤツがいいヤツ、辞めるヤツは裏切り者だっていう風潮がありますよね。

『あいつは仕事ができないから辞めた』とか、『人間関係がダメだったんじゃないか』とか後ろ指を指されたり。転職したら負け、みたいな古い考えが根強く残っていて、とてもじゃないけど自由に新たな道へ踏み出せるような空気じゃない。だから、変えないといけないのはみんなの生き方っていうより、むしろそういう社会の空気のような気がします。

僕もこんな見た目だけど、たまに犬や猫とか烏を眺めてると『こいつらは人間社会と関係ないところで生きてて羨ましいなぁ』って思います(笑)。ルーティンって楽かもしれないけどやっぱり息苦しかったりもするから、たまにはそっから外れたい衝動に駆られる人も多いんじゃないかな。それが許される社会だといいですよね」。



ダースレイダーのように強く生きることは簡単ではない。同じ立場に置かれたときに、こうも前向きでいられる人は決して多くないはずだ。しかし、マイナスをプラスに変える発想の転換や、多様性を認め、自由に生きようとするその姿勢は、自らの人生にも必ずや活かせるはずだ。

ダースレイダーというラッパーの怯まないその生き方は、今日も誰かを確実に勇気づけている。10年後、20年後も変わらずにリスナーを照らし続けるだろう。


ダースレイダー●1977年フランス・パリ生まれ、イギリス・ロンドン育ち。吉田正樹事務所所属。大学在学中にラッパーデビュー。現在は自らのバンド「ザ ベーソンズ」で活動するほか、司会業や執筆業など、様々な分野で活躍を続ける。自身の闘病体験を赤裸々に綴った自伝『ダースレイダー自伝 NO拘束』(ライスプレス)も絶賛発売中。

 

ジョー横溝=取材 池本史彦=写真 ぎぎまき=文

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