>【前編】を読む “なんもしない”サービスを提供し、人気を博す「レンタルなんもしない人」35歳(以下、レンタルさん)。
上司に「なんでお前がここにいるのかわからない」と言われた会社員時代を経て、「レンタルなんもしない人」となったのは、今からおよそ1年前だ。
サービスを生み出したきっかけは、どこにあったのか。
「ひとつは33歳のときに読んだ『ツァラトゥストラかく語りき』でニーチェと出会ったこと。これまで自分のなかで◯◯しなければならない、と縛られていた常識や価値観が覆されて、だいぶ生きやすくなりました。自分で面白い、と思えばそれでいいんだという根拠のない自信が持てるようになったんです」。
ニーチェは、人間関係の軋轢に悩みながら生活の保証や安楽のために生きるのではなく、永劫回帰の人生のなかで自らの確立した意思を持ち「超人」として生きよ、と問いている。
「大学院に進学したのも周囲がそうしていたからで、なんも考えずに流されただけでした。自分の意思で生きることは少なかった」。
ニーチェとの出会いによってレンタルさんは、自分の生き方を見つめ直しはじめた。レンタルなんもしない人の活動場所をツイッターに定めたのは、学生時代からの趣味が大いに影響しているようだ。
「15年ほど前からお題に対して面白い回答をする『ネット大喜利』という遊びにハマって、6年ぐらい投稿し続けて、サイトのランキングで1位になったりもしました。言葉を使った表現が面白いと思ったのは大喜利のおかげですね。ツイッターもそうだけど、短文で気の利いたことを言う、というのがぼくにはあっていたんだと思います」。
大喜利サイトには『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)の作者こだまさんや、『死にたい夜に限って』(扶桑社)の爪切男さんなど、SNS発でいまや大人気となった作家もいたという。
短い言葉で、いかに人を笑わせるか……大のお笑い好きだったレンタルさんにとって、大喜利の世界は自分にとっての「面白い」を表現する唯一の場所だった。それは現在、ツイッターでの業務報告で見せるユーモアにも通ずるところがある。
就職して大喜利から一旦は離れたものの仕事を辞めた29歳頃から再開。最近まで投稿していたという。表現ツールとして、「面白い」を発信する原点は大喜利にあったのだ。とはいえ、当時は自分の思う「面白い」にあまり自信が持てなかった。
「大喜利は見てる人からの評価で面白いかどうかが決まるので、自信がないからこそ順位をつけてもらったり、他者評価に委ねていた。でも今はニーチェの価値観に触れて、人がどう思うかより自分で面白いと思うかどうかを優先するようになりました。例えば、レンタルなんもしない人では“レンタル料を貰っていない”と僕が言うと、“飯のタネにならないことをしてなんの得があるの?”という人が絶対にいます。でも、僕が面白いと思ってやっているんだから、それでいいんです」。
根拠のない自信に支えられ、自分の面白いを貫き、レンタルさんは「レンタルなんもしない人」という職業を誰よりも楽しんでいた。ちなみに妻と出会ったのも大喜利のオフ会だという。
「オフ会で話したら、妻はたまたま自分が通っていた大学の職員だったので、大喜利という狭い世界でこんな偶然もなかなかないなと。妻は今、イラストレーターとして働いているのですが、ぼくの仕事にも理解を示してくれているので感謝しています」。
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