「懺悔室」「空調」「面白い船の集まる港」
現在、1歳となる子供と妻との3人暮らし。共働きではあるものの、無償の「レンタルなんもしない人」を続けるレンタルさん一家は、どうやって生活しているのだろう。
「会社員時代の貯金を切り崩して今は生活しています。最近は本の発売やメディアの出演もありますし、レンタル業は交通費だけお願いしていますが、別途でいただける場合はお断りしていません」。
「たまに「お金を受け取ってほしい」との依頼でお金をもらう。支援的な意味のものも多いけど、「無駄使い欲を発散したい」「ギフト券を送る練習がしたい」「預金残高の端数が鬱陶しい」という理由や「ふと」というのもある。こういうバリエーションは料金とってたら発生しなかったろうなと思う」(レンタルさんのツイートより引用・原文ママ) まるで、寺社における「お気持ち」代に似たような感覚だろうか。依頼者によっては、レンタルさんを「教会」「懺悔室」と捉えている人もいるという。
「『空調』『壁』『王様の耳はロバの耳』……ときには『ただの乞食』『新手のヒモ』とか言われることもあります。とある番組で、ふかわりょうさんに『面白い船の集まる港』と言ってもらえたのはうれしかったですね」。
レンタルさんは、どんな解釈でも依頼者にとっての正解なのであればそれでいい、と飄々としている。
「必然的に彼らが求める解釈として提供されるだけなので、正直、肩書きはなんでもいいんです。依頼者が必要だと思ってくれる存在でいられればどんな形でもうれしい」。
つい先日も、こんな依頼があった。
「疲れて飛び降りて入院中の人から「何も知らない何もしない人に会いたい」との依頼があり病院へ。(中略)途中「姿は見えるけど話はできないところにいてほしい」と言われ離れた後、画像のDMがきた。一人にさせてくれる他人が必要だった模様」(レンタルさんのツイッターより引用) 送られてきたメッセージには、こんな依頼主の切実な思いが綴られていた。
「自分の本当の依頼内容は『一人になりたい』だったのかもしれません。一人では一人になれない。(中略)一人にさせてくれる自分のための他人がいることはとても贅沢だと思いました」。(依頼主のDMより引用・原文ママ)
誰とでも手軽に繋がれる現代、「一人にさせてくれる」レンタルさんに救われている人は、確かに存在するようだ。
藤野ゆり(清談社)=取材・文