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飯星龍一さん
1957年生まれ、千葉県出身。好きなバイクはヤマハのRZシリーズとその後継であるTZRシリーズ。オーエックスエンジニアリング初の競技用車いす開発に携わった人である。

 


——初めて競技用車いすを作るとなったときの印象を教えてください。

弊社はそもそもバイクショップがルーツで、私ももともとがオートバイのメカニックでした。その頃はチームでバイクのレースにも参戦していて、レース用の部品を作る機械もあったから、実際、車いすを形にすること自体は大変ではなかったんですよ。

しかし、乗る人それぞれの形に合わせる調整に苦労しました。レースに使うバイクと同じような乗り物作りだな、という感触は最初からありましたね。

——バイク作りの経験が活かされた点はありますか?

当時、一般的なレーサーのフロントフォークは、ステムシャフトのみで支える自転車と同じ構造でした。そこで我々はフロントフォークをトップブリッジとアンダーブラケットで支えるというバイクと同じ構造とすることで、剛性をより高めました。



——剛性の向上はどんなメリットがあるのでしょう?

競技のなかでも、コーナーからスタートする短距離競技は特に、3漕ぎ目までフロントに大きな力がかかります。その際、フロントフォークなどフレームのブレが大きいとパワーロスにつながるんですよ。それで少しでも剛性を強くしてブレを抑えれば推進性が増す。それでコンマ何秒か早くなるんです。

——これまでで思い入れのあるレーサーを教えてください。

「おむすび」かなあ。フレームの断面が「おむすび」の形をしたレーサーです、剛性を上げるためフレームの形の研究に取り組んだ成果が「おむすび」。そのあと「おむすび」をさらに改良した「ひょうたん」に乗ったフランスの選手が大分国際車いすマラソンという大きな大会で優勝しました。世界最高峰の大会である大分国際で、弊社のレーサーにとって初優勝だったんですよ。

「おむすび」「ひょうたん」などと名付けられた特徴的なフレームの断面。


飯星さんが思い出に残る1台と語る通称「おむすび」を採用したレーサー。


このように車いすメーカーとして歩み出したオーエックスエンジニ アリング。その進化は現在も続いており、 東京パラリンピックでも同社のレーサーの活躍が期待される。

後編では、そんな現在のレーサー作りにせまってみよう。

 

田澤健一郎=取材・文

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