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2019.06.13

あそぶ

0.1mmのせめぎ合い! 東京1964が始まりだった競技ピクトグラムのできるまで


FUN! the TOKYO 2020 
いよいよ来年に迫った東京オリンピック・パラリンピック。何かと “遊びざかり”な37.5歳は、 この一大イベントを思い切り楽しむべき。 競技を観るのもするのも、主な拠点となる東京を遊ぶのも、 存分に。2020年の東京を……Let’s have FUN!


1964年の東京オリンピックは、日本のデザイン史においても大きなトピックであった。例えば伝説的なデザイナー・亀倉雄策氏が手掛けた大会エンブレムや公式ポスターは、今でも高く評価されている。

そんな前回の東京大会のデザインにおいて、オリンピックの歴史に大きな影響を与えたのが、競技ピクトグラムの誕生である。

導入は、東京1964から


ピクトグラムとは何かの情報を伝えるための視覚記号(サイン)。非常口のマークやトイレのマークなど、日常的に目にすることも多い。オリンピックでも各競技を示すピクトグラムが大会ごとに制作されている。

実はこの競技ピクトグラムが、オリンピックで初めて登場したのが前回の東京大会なのだ。世界各国から選手や関係者が訪れるにあたり、漢字や英語がわからなくても伝わる競技ピクトグラムを作成しようということになった。

この競技ピクトグラムが好評で、以降、オリンピック・パラリンピックでは大会ごとに競技ピクトグラムがデザインされるようになる。オリンピックの競技ピクトグラムは、日本が元祖だったのだ。

東京2020、オリンピックの競技ピクトグラム発表時の様子。Photo by Tokyo 2020/Shugo TAKEMI


2020年の東京オリンピック・パラリンピックでも、新たな競技ピクトグラム(スポーツピクトグラム)が使用される。デザインを担当したのはグラフィックデザイナーの廣村正彰さん。そこで今回は、廣村さんに今回のピクトグラムの誕生の経緯や、デザインに込めた思いについて伺った。


廣村正彰(ひろむらまさあき)さん
1954年生まれ、愛知県出身。グラフィックデザイナー。1988年、田中一光デザイン室を経て廣村デザイン事務所設立。グラフィックデザインを中心に美術館や商業、教育施設などのCI、VI計画、サインデザインを手掛ける。多摩美術大学客員教授、金沢美術工芸大学客員教授、一般社団法人ジャパンクリエイティブ代表理事。著書に『デザインからデザインまで』(ADP)ほか。




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