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失敗したらまた戻ればいい。開き直りで完全移住を決断




熱海のゲストハウスで週末にリフレッシュする生活を数年間続けながら、三好さんは徐々に「熱海の街づくり」にのめり込んでいく。

「最初に手がけたのは公共施設の管理でした。かかわっていたNPO法人が熱海市から委託を受け、体育館や市民ホールが一体となった公園の管理を行っていたんです。でも、関係者に不動産管理の知識を持つ人がいなくてみんな困っていた。いつのまにか私が指示をするようになり、気づいたら責任者のような立場になっていたんです」。

当時の勤務先は副業を禁止していたので、当初はボランティア。しかし、不動産管理の豊富な知識を持つ三好さんは周囲から頼りにされ、役所との定例会の開催など熱海に通う頻度が多くなった。

三好さんが施設の長期修繕計画を提案し、具体的な予算などを説明すると、市の政策にプロジェクトが反映されていく。「次の議会でこの予算を使って……」と計画が動き出し、大きなやりがいを感じるようになった。週末を過ごすだけだった熱海に、「自分の居場所」ができたのだ。



面白いのは、熱海の街づくりに没頭しているうちに、東京の会社での仕事もうまく回り始めたことだ。

「熱海の公共施設再生について突き詰めていくうちに、自分の仕事が世の中に役立つことを肌で感じました。『マンション管理って大事な仕事なんだ……』。そう再認識したんです。これは熱海に行ったからこそわかったこと。週末だけでも通うことで、東京に戻ったときに仕事の見え方が変わり、楽しくなっていった」。

会社で成果を上げるようになり、管理職を期待されるところまできた。会社をやめて熱海に移住すれば、せっかく築いたこのキャリアを捨てることになってしまう。かといって、現状では熱海の街づくりにフルコミットできない。

そうやって移住に踏み切れないまま、数年が過ぎたという。結果的に三好さんが決断できたのは、いってみればある種の開き直りだった。

「すでに3年以上も熱海の街づくりにかかわっていたので、サポートでは満足できなくなっていました。僕のなかにはフルコミットしたいという思いがあった。そのとき、熱海と東京を天秤にかけたら、仮に収入がかなり減ることになっても熱海にかかわりたいという自分がいたんです。だったら会社をやめて、失敗したらまた東京に戻ればいいじゃないかと」。



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