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「ビーチクリーナー」開発。答えのすべては現場にあった

本田技研工業

[左]本田技研工業 木村嘉洋さん●1958年、香川県生まれ。二輪事業本部ものづくりセンター所属。入社以降、一貫してATV開発に携わり、その流れでビーチクリーン活動へ。40年近い職務経験を通じ、新しいモノを作り出す気概、社員に挑戦させる風土に同社の魅力を感じている。 [右]本田技研工業 前原洋一さん●1956年、神奈川県生まれ。社会貢献推進室の主任としてビーチクリーン活動には60回近く参加し、各地の海へ。とてもキレイな砂浜とも出合い、そのような地域では地元住民の高い美意識、清掃活動を日頃から行うなどの特徴が見られたという。


海をキレイにしたい。その想いが生まれるきっかけは、ひとりの社員が偶然訪れた海で目にした、ゴミで汚れた砂浜の光景だった。興味深いのは、「これはひどい。どうにかしなければ」と個人が抱いた想いを企業の活動に昇華させたところである。

木村氏によれば、音頭をとったのが本田技術研究所(当時)の元トップの人であったため会社の事業にしやすかった面があるという。

ただ同社の特徴を思えば、海辺の清掃ではなくバイクやクルマを開発したいと考える人もいたに違いない。この点について木村氏は「技術で社会に貢献する。それはF1もビーチクリーン活動も同じです」と言い切った。

“私”以上に“公”への想いを抱けてこそホンダの人間ということなのだろう。そうして世のためとなるモノづくりに熱い想いを抱く顔ぶれによって始まった「ビーチクリーナー」の開発は、しかしスムーズには運ばなかった。

当事者の木村氏自身、「なめていた」と厳しい言葉を使い当時を振り返る。

「自分たちが培ってきた知識で事足りるだろうと思っていたんです。けれど砂浜をキレイにするという未知の世界は手強かったですね。試作機材を砂浜へ持っていき、これではダメだと1時間もしないで持ち帰ってくる。

網を使って引っ張れば砂浜に転がるゴミは取れるのではないかとか、アイデアが浮かべばすぐに反映し、砂浜で動かしながら悪戦苦闘したのを昨日のように覚えています」。

開発メンバーは8人ほど。そのうち5〜6人の姿は常に開発拠点に選んだ新潟県のビーチにあり、試作機材の調整もすべて現場で行った。

「ホンダにはモノづくりに関して三現主義という信念があります。現場・現物・現実を重視する姿勢のことで、『ビーチクリーナー』はこの三現主義を貫き生み出されました。

現場に詰めたメンバーには、図面を描く人、板金工のように手を動かす人など異なる技術を持つ者が集い、だから改良版もすぐに作れて実験できる。昔ながらの現場仕事でしたね。

海でのバーベキューも何度かやりましたし、すべてが楽しい時間でした」。

’00年頃から2年近くの時間をトライアル&エラーに費やし、初代「ビーチクリーナー」は完成。以降、改良を重ねて現在の機材にいたっている。

砂浜を清掃するアイテムを牽引するのはATVと呼ばれる全地形走行車。四輪駆動で機動性が高く、砂地への接地荷重を体重60kgの人と変わらない設定にできたことで砂浜でも支障なく走行し、砂の中に生息する生物を脅かさない配慮も備えた。

ATVが牽引するアイテムとして開発されたのが「サンドレーキ」と「サンドスクリーン」。「サンドレーキ」は大きな熊手を思わせるもので、アイテムの底部についた多数のピンが空き缶やペットボトルなど砂の中に埋もれた大きめのゴミを引っ掛け収集する仕組みになっている。

ちなみにピンの長さは10cmに設定されているが、これは海亀が深さ50cmほどのところに卵を産むという専門家の意見なども参考にして決められた。

ATVの低圧タイヤの接地荷重もそうだが、あらゆる活動は人も生物も含めた全方位の安全確保を重視して行う。そんなホンダの思考が込められた実例となっている。

「サンドスクリーン」は冒頭の写真でATVが牽引しているアイテム。タバコの吸い殻やガラス片といった小さなゴミを砂とともにはね上げ、また鉄製の網に落下したそれらを振動させることで、ゴミだけの収集を可能にしている。

加えて収集したゴミを分別する場の「ゴミ回収ステーション」、「サンドレーキ」や「サンドスクリーン」が使えない波打ち際などでも使用できる、ドラム内に入れた収集物を回転させて砂とゴミに分ける「回転式スクリーン」が開発され、「ビーチクリーナー」の基本セットは誕生した。


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