新天地で40歳を迎え……
2006年、31歳で電通を退社。定年まで電通に居続ける人も多いなか、働き盛りの30代で辞めることに周囲は驚いていたという。
「なかでも一番びっくりしていたのは妻ですね(笑)。子供が産まれたばっかりだったので、不安ではあったと思います」。
転職したのは外資系代理店オグルヴィ・ワン。最年少クリエイティブディレクターとしての入社だった。
「世界中のクリエイターが集まって会議する際、こんなクソみたいな企画作ったの誰や!って吊るし上げられるときもありました(笑)。でも、海外の作品やクリエイターに出会えるのは刺激的な時間でしたね。ある程度の裁量が得られていたのも楽しかった」。
31歳から9年間、オグルヴィでクリエイターとしての知見を広めた。しかし40歳にして、またしても退社。
まさかのアルバイト生活を始めることを決める。そこには幼い頃から続けた剣道との繋がりが大いにあったのだが……。いったい阿部さんに、なにがあったのか?
【後編】に続く
藤野ゆり(清談社)=取材・文 小島マサヒロ=撮影