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「徳川家が、木彫り熊、はじめました」。




—意外すぎます。

安藤 明治時代に尾張徳川家が、北海道の土地を新政府から譲り受けたんです。そこに徳川農場っていうのを作るんですけど、冬は厳しいし、文化もない。せめて農業が休みになる冬場に、なにか取り組むものを作らなきゃとなって、大正時代になって徳川義親という人が「木彫り熊を楽しく作って生活の足しにしちゃおうぜ」って言ったのが始まり。

—じゃあ歴史も、100年足らず?

安藤 そうなんです。意外と歴史は浅いんです。

—その最初期のものが、背負い鮭なんですか?

安藤 それはまた違って……この中に入ってる……。

目的の熊は左側の……。


—この箱は?

安藤 クマ手箱。あ、コレコレ。

この木彫りグマは、八雲の資料館以外ではほとんど見たことがない貴重なもの。 この木彫り熊は、八雲の資料館以外ではほとんど見たことがない貴重なもの。


—あら、かわいらしい。この子は八雲生まれ?

安藤 はい、かなり初期の。足の裏を見てください。

—「やくも」っていうシールが貼ってありますね。

安藤 そうなんです。こういうところから八雲をブランド化していたことがわかりますよね。ちなみに、よくあるのは同じ「やくも」印でも焼印なんですが、シールは極初期のものだと思われます。これ、かなり貴重なんです。



—なるほど。そうして土産物として発展していく。

安藤 そうです。戦後の北海道観光ブームでピークを迎えて、一気に全国区の人気者になって、こんなのも登場する。1952年のホッケー大会のトロフィーです。これは八雲の熊ではないですが、こうした擬人化熊は戦前の八雲でもすでに彫られていました。

スティックも持っていないけど、ホッケーのトロフィー。 スティックも持っていないけど、ホッケーのトロフィー。


—いろんなスタイルが生まれるんですね。

安藤 アート的なアプローチをする人も出てきます。柴崎重行さんは特に有名で、今もっとも人気の作家なんじゃないですかね。ところで……。

—はい。

安藤 木彫り熊の故郷はどこだか知ってますか?

—そりゃ、北海道?

安藤 ブー。スイスです。



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