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待っているだけでは転機は訪れない


田中修治

10代の頃から起業家として、さまざまな事業に挑戦していたという田中さん。どんな子供だったのか聞くと「全然、覚えてないんですよ」と一蹴されてしまった。

「だってもう30年ぐらい前のことでしょ? 本当に記憶がないんです。でも、友達は全然いなかった。中学も高校も。だから自分の学生時代を語れる人がいないんですよね……家族とも連絡とっていないし。ただ当時から事業とかにはずっと興味がありました。普通に就職することは頭になかった」。

過去を振り返る時間があるなら、現在のことを考えたいと話す田中さんは、そもそも過ぎ去った時間には興味がない。だからこそ、人生を回顧する際の「ターニングポイント」というキーワードにも、ある想いを抱いている。

「『どこが人生の転機だったか?』って取材でよく聞かれるんです。『破天荒フェニックス』のようなストーリーを書いたから尚更なのかもしれないけど。でも“転機”みたいな考えがそもそもあんまり好きじゃないんですよね」。

そういって少し困ったような笑顔を見せた。選び取る言葉は強いが、くしゃっと笑う表情には優しさが滲む。

「ターニングポイントなんて、結局、すべて後付けなんですよ。たまたま今は少しうまくいってるだけで、 OWNDAYSもまだこの先どうなるかわからない。それこそ僕は若い頃から雑貨屋買収したり、ヨーロッパ進出したり、そのほとんどで失敗してるし、億単位の損失を出したこともある。OWNDAYSだって失敗する可能性も全然あったわけで、たくさんの失敗のなかでひとつがうまくいったっていうだけ」。

『破天荒フェニックス』で描かれたOWNDAYSの見事な再生と成功。しかし、それはあくまで結果論であって、若かりし頃に挑戦した数々の事業の二の舞になっていても何も不思議ではなかった。

「(OWNDAYSが)なぜ再生できたかを体系的に話すことはできるかもしれない。たくさんの人の協力のおかげだと思うし感謝もしています。でも、もし失敗していたとしても僕は別のなにかでうまくいくまで、しぶとく残っていたと思う。最も危険なのは、タイミングや選択に秘訣があった……と思いすぎることでしょう」。

世の中に溢れる「なぜ成功できたか」「なぜ、その仕事がうまくいったのか」というハウツーの数々。それを読んでどこかで私たちは「この人には転機やチャンスが舞い込んだから、だから、うまくいったんだ」と諦めると同時に安堵しているのではないか。そう田中さんは分析する。

「自分の努力不足ではなく、“転機”がなかったから。そう思うのはラクだし、都合がいい。でも“転機”を待っているだけの人には一生訪れないと思うんですよね、“転機”ってやつは」。

何度も深刻な資金難に陥りながらも新店舗を展開したり、海外進出したりと果敢に攻め続けたのは、すべて田中さんが“転機”に期待していなかったゆえかもしれない。しかし、その破天荒っぷりにも41歳を迎えて、少し心境の変化が生まれているという。

田中さんに芽生えた気持ちの変化とは? 【後編】に続く。



藤野ゆり(清談社)=取材・文 小島マサヒロ=撮影

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