2015年に誕生したスニーカーブランド「Flower MOUNTAIN(フラワーマウンテン)」の勢いが止まらない。

ファーストコレクションでオーダーをつけたパリのcolette(コレット)を皮切りに、アカウントはあっという間に100を突破。なにより驚くのは取引先の9割が海外で、キラ星のごとく名店がひしめいている、という事実だ。
フラワーマウンテンの代表モデル「パンパス」に、“モダンデザインの父”といわれたイギリスの巨匠、ウィリアム・モリスによる図柄をオン。ファーストコレクションに登場し、コレットがオーダーをつけたのもこのシリーズだ。1万6000円/ブリースデザイン https://www.flower-mountain.co.jp中国で出会ったパートナーとともにこのブランドを立ち上げた、太田圭輔の履歴書。
挫折と同時に始まったスニーカー業のキャリア
「ずっと音楽をやっていて、大学在学中にデビューが決まりました。地元北海道のラジオ番組の企画で優勝したんです。ところがいろいろあって土壇場で白紙に。デビューする気満々でしたから、就職活動はまったくやっていませんでした」。
傷心の太田は大学で会社説明会が開かれた靴屋への就職を決めた。いったんは札幌の営業所に籍を置くも、ほどなく東京転勤の打診を受ける。太田は断る理由もなく上京した。その会社は日本の靴産業のメッカ、浅草に本社を構える問屋だった。
太田圭輔(おおたけいすけ)●1974年生まれ。大学卒業後、老舗の靴問屋に入社。買い付けから生産管理まで靴にまつわるひと通りを経験して2013年に独立。2015年、ヤン・チャオとともに「フラワーマウンテン」をローンチ。「配属されたのは国際事業部。名前は立派ですが、常務がひとりでやっている部署でした(笑)。しかし結果的にこれがよかった。右も左もわからないうちから海外にいかせてもらえたんです」。
事業部の主な業務は海外で買い付けた靴を国内の小売店に販売するというものだ。並行輸入のスニーカーもかなりの数をさばいたという。
「はじめのうちこそ面白かったけれど、仕事に慣れてくると、そこには前向きになれない自分がいました。言ってしまえば、他人の褌で相撲をとっているような気がしたんです。ぼくは常務に“つくるほう”をやりたいとかけあった。幸い中国や韓国に生産背景を持つ会社でしたから、すんなりとシフトすることができました」。
生まれてはじめてのものづくりの現場。自分が役に立たないのはわかっていた。太田は少しでも力になりたいという思いでラインに入って1日中バフがけや仕上げに勤しんだ。そうこうしているうちに型紙の切り方なんかも教えてもらうようになる。
「よく言われることですが、一枚の革を立体の靴に組みあげるのは本当にクリエイティブな仕事で、とっても面白い。小さな建築物をつくっている感覚でした」。
飽きることなく気づけば十余年。太田が独立したのは2013年のことだった。
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