最強のパートナーとの出会い
「いつかやってみたいことのひとつに会社経営があったんです。その年は、目をかけてくれた常務が会社を辞めた年でもあります」。
看板をあげた企画会社は大手アパレルのOEM生産が決まり、人も雇うなど順調な滑り出しだった。だが、「やってみてわかったけれど、資本家は向いていなかった(笑)」。
そんなときに巡りあったのがヤン・チャオだった。
「ヤンとは中国の工場で出会いました。ひと言でいえば、天才。先ほどもお話ししたように、靴は絵型という二次元を三次元に起こさなければなりません。そのサンプルを見て、あっけにとられました。言葉は悪いけれど、あのだっさいファーストサンプルをよくもまぁ、ここまで格好良くまとめられるもんだって(笑)。話してみれば、理想とするものから何からぴたりと一致した。どちらからともなく一緒にやろうと意気投合しました」。
時を前後して、とびきりの工場を見つけた。
取引先のために新たな生産態勢を整えなければならなくなり、ツテを頼って辿り着いた広州の工場だった。
「これまでに足を運んだ工場は100じゃききませんが、圧倒的に優れていました。何はさておきマインドがいい。安かろう悪かろうの真逆をいくスタンスで、品質を重視し、手仕事を大切にしていました。デザインへのリスペクトもある。もちろん、アイデアを横流しする心配は無用です(笑)。
40代後半のまだ若い社長なんですが、すでに知られた存在で、錚々たるブランドの製造も請け負っていました。そして、海のものとも山のものともわからない僕らの将来性を買ってくれたんです。これで戦えると思った」。
太田は2015年、イタリアの国際靴展示会ミカムへの出展を果たす。
「起業の次に掲げていた目標は、自分のブランドをつくることでした」。
こうして「フラワーマウンテン」は産声をあげる。その後の成長の記録は後半で。
[問い合わせ]ブリースデザインhttps://www.flower-mountain.co.jp 竹川 圭=取材・文