ブレた時期、そして気づいたこと
憧れた中山雅史に勝るとも劣らないほど、「ひたむき」なプレーを続けてきた巻は、当時所属していたジェフ市原(現在のジェフ千葉)のイビチャ・オシム監督に見い出され、急成長を遂げる。チームの看板選手として活躍し、日本代表にも継続的に選ばれるようになった。
だが、当時の日本代表は、中田英寿や中村俊輔、小野伸二らスキルの高い選手が多く集まっており、そのなかでプレーするうちに自分の目指す姿にわずかなブレが生じ出した。巻も、技術を駆使した華麗なプレーで観客を沸かせようとチャレンジをし始めたのである。
巻の大きな身体からは予想外ともいえるテクニカルなプレーが飛びだすと、ファンやサポーターは確かに喜んでくれた。だが一方で、どこか自分らしくないという違和感があった。
「自分らしくないプレーをすることで、本来のパフォーマンスが徐々に落ちていくんですよ。あと一歩足を伸ばせば……っていうところで、気持ちが入らなかったり、最後のあと一歩で力が及ばないシーンが増えていきました」。
頭のなかで描いていた理想と現実のプレーにギャップが生まれ、それが次第に巻を苦しめるようになる。ひたむきさを失いかけた巻に、マスコミは一斉に批判を浴びせるようになったのだ。このときのことを思い出すように巻は語る。
「自分はそういう選手じゃないんだと気付きました。でも、早い段階で気付くことができたのは、ある意味、メディアから批判してもらったおかげでもあったんです。やっぱり綺麗にプレーしたいとは思いましたよ。“そんなところでスライディングしてなんの意味があるの?”っていうようなプレーは、やっぱり恥ずかしいものですからね。
でも、振り返ってみると、その一見意味がないプレーひとつで試合の流れが変わることもある。そしてそのようなプレーは、誰もができることじゃないと気付きました。そこからはブレなかったですね」。
本当の「ひたむき」さを手に入れた巻は、2008年のJリーグで11得点を記録するなど、再び以前の輝きを取り戻す。葛藤を繰り返しながらも、泥臭く愚直に走り続けてきたからこそ、チームメイトに信頼され、ファン・サポーターから愛されたのだろう。
熊本地震で発揮した献身的な姿勢
2014年、巻は自身のキャリアの最終クラブと心に決めて、地元・ロアッソ熊本に移籍を果たす。それから5シーズン、精神的な支柱としてチームを牽引してきた。そんな巻にとって大きな転機が訪れたのは、2016年4月のことだった。愛する地元を熊本地震が襲ったのだ。
傷ついた故郷の様子に心を痛めた巻は、溢れる想いを抑えられず、すぐさま支援を決意。自ら熊本のスポーツ選手たちの先頭に立って救援物資を避難所に届けて回り、サッカー教室を開いては子供たちと触れ合って笑顔を取り戻した。
そして、この被災地支援活動を通じて、スポーツ選手のもつ社会的価値を再び認識したという。
「子供たちと触れ合うと、みんな元気を取り戻してくれるんです。その様子を見て、“サッカー選手の価値はピッチ外でも発揮できる”ということを教えてもらいました」。
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