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しばらく走って鹿児島県薩摩川内市の入来麓武家屋敷に到着した。面積300坪の敷地に立つ、築120年の武家屋敷はとても立派だった。東京の狭いアパートに暮らしている僕にとっては広すぎて落ち着かないくらいだ。

お話を伺った武家屋敷内(筆者撮影)


まだ寒い季節に伺ったのだが、家全体を温めるのは暖房費の無駄なので、室内にキャンプ用のテントが組み立てられていた。夜はテント内で寝るそうだ。なんだかすごい面白い絵面になっている。

そんな、とても広いお屋敷の中で、小島健一さんがどのようにして社会科見学師になったのか、そしてどうして武家屋敷に住むことになったのか、お話を伺った。

生い立ちは


小島さんは1976年埼玉県春日部市に生まれた。普通のサラリーマンの家の子供だった。特に特徴がない子供だったという。あまり外には出ないし、スポーツもしない。成績も中の中だった。平凡な人間だと思っていた。

「僕が小さい頃、『ノストラダムスの大予言』(祥伝社/五島勉)が流行っていたんですよね。1999年7月に世界が滅びるというやつ。『人類がいきなりいなくなってしまうかもしれない』という雰囲気を感じて、ちょっと無気力になっていました」。

それでも高校に進学して好きなものができた。オーディオだ。ならば音楽機器を作る方向に進もうと大学の理工学部に入った。

池島ツアー(小島さん撮影)


「でも実際授業で習うとそれほど楽しくなかったんです。オーディオは聴くのは好きだったんですけど、作るのにはそんなに興味がなかったんですね(笑)」。

大学は自宅から片道2時間かかった。往復4時間の道のりはかなり大変だった。そのため学校もあまり行かなくなる。浪人や落第はしなかったけれど、大学時代の印象は薄い。就職活動もしなかった。大学卒業後は大学生の頃から働いていたコンビニエンスストアでアルバイトを続けた。

かくして1999年の7月が訪れたが、世界は滅びなかった。
ここまでの話だと、アクティブに活動を続ける現在の小島さんの学生時代のエピソードとは思えない。

実は大学の終わり頃に小さなターニングポイントがあった。ホームページを始めたのだ。商売にしようという気はなく、気のおもむくままに更新していた。ファンがつくとともに承認欲求が芽生えて、更新頻度も上がっていった。



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