父親の女性蔑視が娘を救うという皮肉
偏差値や塾のクラスや合格した学校名で自分の価値が評価される。そんな家庭にいたら、子供自身も偏差値や塾のクラスや学校名でひとの価値を推し量るようになる。
そのまま年をとれば、どんな大学を出ているのか、どんな会社のどんな役職に就いているのか、年収はどれくらいなのかを気にする人になる。どんなクルマに乗っているのか、どんな腕時計をしているのか、そしてどんな異性と付き合っているのかを、自分のステータスだと思うようになる。可視化できる価値軸で人を比べる人間観の再生産である。
娘の場合は、皮肉なところに救いがある。「競争社会の中で勝ち残ってこそ男だ」という信念をもっている父親は逆に、娘には競争社会の中で勝ち残ることを過度には求めない。女性差別にほかならないが、それが娘への負荷を軽減する。
しかし息子の場合、その信念の直撃を受ける。「勝ち組」を自認する父親のもとでは、期待はさらに大きくなる。期待とプレッシャーは紙一重だ。
「偏差値60以上の学校じゃないと意味がない」「東大に20人以上入っている学校じゃないと意味がない」というような気持ちがあるのなら、子供に中学受験をさせるのはやめたほうがいい。そのような「結果」だけを見る視点からは、中学受験を通じた親子の成長に気付けず、過酷なだけの中学受験になってしまうからだ。
すでに中学受験勉強を始めており、子供の成績に“納得がいかない”という“症状”が出ていたら、まず正すべきは子供の成績ではなくて、子供の成績を自分の“勲章”だと思ってしまう自分の価値観かもしれない。
おおたとしまさ=文
「子供が“パパ〜!”っていつでも抱きついてくれる期間なんてほんの数年。
今、子供と一緒にいられなかったら一生後悔する」と株式会社リクルートを脱サラ。中学受験を親子にとっていい経験にする方法、子育て夫婦のパートナーシップ、男性の育児・教育、無駄に叱らない子育てなどについて、執筆・講演を行う傍ら、新聞・雑誌へのコメント掲載、メディア出演にも対応している。著書は 『ルポ塾歴社会』、『追いつめる親』、『名門校とは何か?』など50冊以上。近著は『開成・灘・麻布・東大寺・武蔵は転ばせて伸ばす』 (祥伝社新書)