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大学生の夏休みも旅に出た。やはり青春18きっぷを使って、東京から西日本、九州に向かって進んで行った。

「大阪のおばさんの家に泊まったり、サウナに泊まったり、野宿したりしながら1カ月くらいかけて旅しましたね。そして長崎の最西端に着いて『日本は狭いな~』と思いました。来年は海外に行こうと決めました」。

当時、若い人たちの中ではタイなどへバックパックひとつで旅をするのが流行っていた。丸山さんもはじめての海外旅行をすることを決めた。

「大学2年の夏休み、女の子にふられたのをきっかけに旅に出ました。最初の旅ではタイに2カ月行きました。1カ月10万円でやりくりする貧乏旅行です」。

初の海外旅行のキッカケは失恋


クレイジーな旅人の初の海外旅行のキッカケが失恋とは意外な感じもする。ただ、それからは休みのたびに、インドやカンボジアなどアジアを中心に旅をした。旅の期間が長すぎて授業が間に合わなくなってきたが、教授に「世界を回る旅をしていました」と素直に伝えると、単位をもらえることもあった

学内では資料館(現在は博物館になっている)の地下にある収蔵庫をたまり場にしていた。そこは遺物や土器などが置いてある、先生たちの作業場であり、そこに学生たちでたむろっていると先生から「発掘現場に行くか?」などと誘われたりした。

先生たちが資料を調査するときの荷物運びや、遺物修復の下作業などをして給料をもらった。それ以外にも斡旋センターなどで日雇いのアルバイトをしていたし、先生たちがご飯をおごってくれることも多かったので、金銭的にはあまり苦労しなかった。

バングラデシュにて(写真提供:丸山ゴンザレスさん)。


そのまま就職活動はせず、大学院試験を受けた。

「大学院試験は、英語、考古学、日本史の3つの科目があるのですが、英語は壊滅的にできず、考古学はヤマを外しました。ただ日本史は満点ちかい点数を取れて合格しました。石ノ森章太郎の『マンガ日本の歴史』全55巻を漫画喫茶で読破したのが成功の秘訣だと思います(笑)。日本の歴史を流れとしてとらえることができるので、オススメですね」。

めでたく大学院生になったが、ここからが上手く行かなかった。

大学の先輩に『建築会社の下請けの民間の発掘会社』で働くよう強制された。結果1年間まるまるそこで泊まり込みのアルバイトをした。

「先輩には『先生に言うなよ』って脅されて働いてました。授業には出れないし、家にも帰れないし、とにかく人間関係はめんどくさい。博士課程に行くのは諦め、大学院2年生で修士号をとってやめてしまいました。それがしくじりのはじまりでしたね。『私立文系考古学専攻修士号』とか就職ではまったく意味がないんですよ」。



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