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ハワイで始まり終わるのがリアルサーファーの1年

実はプロテスト合格よりも前、16歳で大きな転機が訪れている。当時は北区・王子の「プランジングサーフショップ」に所属しており、期待の若手として、冬のハワイ遠征に同行させてもらえることになったのだ。

「契約スポンサーだったフィットシステムズウエットスーツの遠征メンバーに“丁稚”として声をかけてもらったんです。

オアフ島のノースショアに設けられた拠点を軸にチームメンバーは活動していたんですが、出入りする顔ぶれは国内のトップ・オブ・トップ。波も雑誌を見てイメージを膨らませていた程度で、もちろん初体験。

でもビビっている場合ではないし、先輩に行くぞと言われたら選択肢は行くのみ。行けそうにないなら日本を出国する前に逃げるしかない。少なくとも僕にとってハワイとはそういう場所でした」。

その言葉には牛越プロの思考と気の強さが見られるが、かの地でのサーフィンは一流への条件である。

何よりハイシーズンのハワイは古代ポリネシアで生まれたサーフィンの正統的な系譜に組み込まれる場所。’50年代にオアフ島のワイメアベイでビッグウェーブを発見して以降、ノースショアに点在する大波に挑み、そのためのサーフボードを手掛けていった先人がいて現在がある。

だから牛越プロは初ハワイ以降も勇んで挑んでいった。取材時も「1年はハワイで始まりハワイで終わる」と口にし、「あの波を滑れてこそサーファーなのだと、僕は思う」と言い切った。
 

洗礼を受けたハワイに今も理想を求める

私的にサーフィンを楽しむようになってもハワイを意識する。そのため、緩んではいられない。

「もし不格好なサーフィンをしたら先輩たちから『大丈夫?』と連絡があるはずです(笑)」と冗談めかして言うが、60歳以上が出られるJPSA特別戦「マスタープロ」では、70歳を超えながらショートボードでキレキレのライディングを見せた先輩もいた。

また過去に同大会での優勝経験があり、牛越プロが師匠と敬う契約サーフボードブランド「SSJ」の社長、添田博道氏も現役ショートボーダーだ。

「博道さんも新しいサーフボードを手にすると子供のようですからね。先日もケリー・スレーターが開発に関わったピカピカの一本を手に喜んでいて、触ろうとすると怒られました(笑)。

牛越が触ると何かが変わっちゃうからやめてくれる?とか言って。先輩たちがそのような感じですから、自分なんてまだまだです」。

自身にも大切なサーフボードがある。それは年に年度か、地元の海にグッドウェーブが姿を見せたときに持ち出すもの。しっかりと乗りこなせるか否か、自分を試す一本だ。

そこまで厳しくサーフィンと向き合うのは「冬に日本にいるようになったら、自分の中のサーフィンは違ったものになる」と言うほどに焦がれるハワイの波があるため。あの波に挑む先輩たちを見ながら育んだ理想のサーファー像が、胸の奥底に深く刻まれているためである。


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神尾光輝=写真 小山内 隆=編集・文

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