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2022.01.07

ライフ

プロサーファー・牛越峰統さんに聞く「50歳、サーフィンとの向き合い方は変わりました?」

50代のサーフィンライフについて、プロサーファーの牛越峰統さんにインタビュー。

サーフィンとの向き合い方は変わったかという問いに対し、答えは実にシンプルだった。「いえ、今も。求めるサーフィンは今も昔も冬のハワイにあります」。

公で無様な姿はさらせない。強いプロ意識は今も根づく。




久々に選手として姿を見せた牛越峰統プロは、2021年11月、日本チャンピオン経験者たちが顔を揃える中で優勝を果たした。日本プロサーフィン連盟(JPSA)による、45歳から59歳を対象とした特別戦「シニアプロ」でのことだ。

40年におよぶ日本プロサーフィンの歴史において、日本チャンピオンとなった最初の東京出身サーファーである牛越プロは試合の前月に50歳に。しかし勝利を掴んだライディングに老いは感じない。

聞けば’09年の競技引退後に初めて出場した試合だったという。それで優勝してしまうのだから、よほど充実したサーフィンライフを送っているのではないか。そう聞くと、「いやいや」と苦笑いを浮かべて否定した。

「出場への打診があったのは3月でした。JPSAが設立40周年なので盛り上げるのに協力できればと出場を決めたのですが、以降は緊張しっぱなしで……。ひたすらトレーニングとリハビリに専念していましたね。

首や肩の調子が良くなかったので千葉の勝浦市にある勝浦整形外科クリニックでMRIを撮ったり、茨城県のワールドウィング神栖で初動負荷トレーニングをしながら調子を整え、ようやく試合を迎えられたんです」。

競技を引退してからは日々のサーフィンも変化したという。

「現役時代は毎日サーフィンし、トレーニングをするという、すべてがプロ活動に集約される365日でした。引退後は空いた時間にサーフィンをする生活。この時間にしかサーフィンできないという状況に対して、ちょっとテンションを上げて海に入る。そんな10数年でした」。

生活模様は一般のサーファーに近くなった。とはいえプロサーフィンの一時代を築いた者ならではの誇りは「シニアプロ」を振り返って口をついた「当日はライブ配信に緊張しました(笑)」という微笑ましいエピソードに感じられた。一挙手一投足が衆目にさらされる状況は「頭が真っ白になった」ほどの緊張感を生んだのだという。

確かに現役時の報道は雑誌などの紙メディアが主だった。そのため“ライブ”という報道環境は「誰かに見られている場で不格好なサーフィンはできない」と考える牛越プロに小さくないプレッシャーを生じさせていた。

だからできる限りの準備をしてきた。そこには「プロサーファーとは、格好いい存在なのだ」とする、牛越プロの哲学があった。


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