当記事は「東洋経済ONLINE」の提供記事です。元記事はこちら。 店主自ら選んだ本を並べ、多様なスタイルで営業する小さな本屋が人気だ。東京都台東区にある「Readin’ Writin’ BOOKSTORE(リーディンライティン ブックストア)」もその一つ。店主の落合博さん(63)は58歳で大手新聞社を退職し、この店を開いた。
退職目前、送別会の翌日、生まれて初めて髪の毛を金髪にした。以来、いろいろな髪色を試しつつ、京都のテキスタイルブランドが作るカラフルなシャツをまとって店頭に立つ。開店から4年、落合さんの表情は実に明るく、楽しげだ。
実は落合さん、本屋を開くのは長年の夢だったわけではないし、とくに本好きや読書家でもないそうだ。ではなぜ定年直前の58歳で会社を辞め本屋を開いたのだろうか。
65歳からの人生に思いをはせて
落合さんにとって、新聞記者は憧れの職業だった。読売新聞大阪本社、『トライアスロンJAPAN』を発行していたランナーズ(現アールビーズ)、毎日新聞社と渡り歩き、主にスポーツを担当。53歳からは論説委員として、社説を書いた。
しかし60歳で定年を迎え、65歳まで再雇用で働く人生を良しとするのかどうか。55歳を過ぎてから、考えるようになった。
定年後、嘱託記者として再雇用されても、どのような仕事を担当するのかはわからない。55歳を過ぎてからは部長職待遇でなくなったうえ、嘱託記者ではさらに給与が下がることもわかっていた。
一方、50代で走ることを始め、ハーフマラソンやフルマラソン、時には柴又100キロウルトラマラソンも完走した。体のコンディションはよく、「まだまだやれる」気力があった。しかも17歳年下の妻との間に、55歳で授かった子どもがいる。自分が65歳になったとき、子どもはまだ小学生だ。
「人生は長い。65歳まで再雇用されたとして、そのあと何をして過ごすのか。朝からコーヒーショップ? 図書館?僕はみじんもそんな毎日は考えられなかった」。
65歳になった時点で、新聞記者のキャリアを生かせる新しい仕事は想像がつかなかった。でも何かしら仕事は続けたい。それなら65歳を待たず、体力も気力もあるうちに新しい挑戦をしたほうがいいのではないか。論説委員は自分のカラーを出しつつ、十分やった実感はある。「そろそろ若い人に譲ってもいいのでは」。いつまでも居座るつもりはなかった。
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