OCEANS

SHARE

単に雪を滑ればいい、ということではない。目を凝らせば斜面の中に、滑るべきラインは無数に見えてくる。
その中からベストを嗅ぎとり、コンディションを狙いすましてイメージ通りのラインを描く。これこそ、玉井の求めるスノーボーディングだ。
あまりにデザインがエレガントなので飾っている、ドロミテのスキーブーツ。実はお母さまが銀座のスキー用品店でオーダーしたもの。隣に並ぶのは歴代のK2玉井太朗モデル。
20代前半から始まったプロスノーボーダーとしての活動において、アラスカ、北米、南米、中央アジアなどさまざまな山にトラックを刻んできた。
どんな場所でも、斜面に対する向き合い方は同じ。自分が納得できるベストなラインを描きたい、という思いだ。
これまで多くの国で、さまざまな山を滑ってきた。そんな旅に関わった車のミニチュアたち。どの車にも深い思い入れがあり、一台ずつに実車を再現するペイントや、細かな改造を施しているという。
かつて玉井は、スノーボードはダンスに似ていると言った。それは自分の感性を身体で表現する、という意味においてだ。そして玉井にとってスノーボードをシェイプするという行為も、感性を形にするという意味では滑ることと同じである。
なにしろ性分なのだから仕方がない。玉井は初めてスノーボードを履いたその日から、これを作ることにも興味を持ってしまった。
滑り始めた頃から、道具としてのスノーボード作りをイメージしていたという。もの作りに対する求道的な姿勢は揺るがない。
「生まれついての性格で、舞台を見ていても照明や小道具といった裏側が気になるタイプ。滑っていても、これはいったいどうなっているんだ、こうすればもっと良くなるんじゃないか、っていつも思っていた」。
小学校5年生の夏休みの学習ノートには、「山中湖からの帰りに湘南の海でサーフィンをしている人を見た」という記述がある。そして、自分も「スチロールでサーフィンを作って、やりたいと思った」と結ばれている。創造はこの頃から始まっていたのだ。
そうした思いが募り、1998年に自身のスノーボードブランド「ゲンテンスティック」を創立。純粋な想像力の表現として、スノーボードの製造を始めることになったのだ。
玉井太朗●1962年生まれ、東京都出身。北海道ニセコ在住。幼少の頃よりスキーに親しみ、サーフィンを経験。やがてスノーボードに巡り合い、競技者を経て’98年に「ゲンテンスティック」を創業。 www.gentemstick.com
 
二木亜矢子=写真 林 拓郎=文 加瀬友重=編集


SHARE

次の記事を読み込んでいます。