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早速、島内の農業改良普及センターを訪ね、相談してみた。すると自治体でもオリーブの新規就農者を歓迎しているらしく、話を聞くうち就農と移住の具体的なイメージがわいてきた。
その気になり、妻に農業を始めたいと打ち明けたが、あまりに突然の申し出だ。妻も東京で会社員をしていて、当時1歳だった子どもの育児休暇中。首を縦に振ってもらえるわけはない。山田さんはいったん引き下がり、東京に戻って仕事を続けた。しかし半年ほど働いたところで「この会社にいるのは違う」と確信。退職の道を選ぶこととなる。
改めて妻には期間限定で良いから、小豆島でオリーブづくりに挑戦させてほしい、と頼んだが「ダメだったときはどうするの?」と突き返された。確かに妻の言うとおりだ。期間限定で挑戦するにせよ、失敗したときにどう撤退し、次の仕事へ進んでいくのか。そこまでちゃんと考えておかなければ移住はできない。
そう考え直し、山田さんは規模が小さな会社で再就職した。初めての転職で、自分がほかの会社でも通用するのかを見てみたかったのだ。結果、約1年勤め、新しい職場でもある程度の仕事は「やればできる」と実感が持てた。「これなら、また東京に戻って来ることになっても何とか仕事はできる。だからやっぱり自分は小豆島でチャレンジしたい」。
農業で収入が安定するまでは、貯金を切り崩して生活することになる。そのため山田さんは貯金の額から、5~6年なら一家で暮らしていけると判断。ギリギリまで粘るのはリスクが高いと考え、「3年で食べていけるめどが付かなければあきらめる」と決めた。その約束をもとに妻も自身の仕事を辞め、一家での移住に賛成してくれた。

有機栽培のオリーブで高付加価値

移住後は妻の親戚の家を借りて住み、農地も親戚を通じて貸してもらえることになった。土地を借りるには“よそもの”では難しいことが多く、親戚の助けがありがたかった。
計算上は3ヘクタールの土地にオリーブの木2000本を植えると採算が取れるはずだった。しかし実際に借りられたのは、その30分の1にすぎない10アールの畑。普通に栽培して農協に卸す、という方法では食べていけない計算だった。
「後発の自分がほかの人と同じことをやっても勝ち目はない。狭い畑でも採算が取れるようにするには商品に付加価値を付け、高い値段で買ってもらうしかない」。そう考え、オリーブの有機栽培に目を付けた。東京にいたころ、「値段ではなく、とにかく良いもの」を求める人たちがいることを知った。その経験から、「国産でオーガニックのオリーブオイル」にはニーズがあると確信したのだ。


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