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東日本大震災の発生から約1カ月の2011年4月27日から始まった、吉本興業の「47都道府県 あなたの街に“住みます”プロジェクト」。
全国各地での地域貢献や活性化を目指し、所属芸人を47都道府県に派遣。実際に住まわせ、「住みます芸人」として活動させる――という企画だ。
この10年で延べ213組328人のタレントが「住みます芸人」となり、地元のテレビやラジオに出演するだけでなく、ご当地のPRや、「まちおこし」に「村おこし」など地域活性化事業にも参加。これまでに就任した観光などの「大使」は313件、全国でのレギュラー番組は238本、担った地域活性化事業は800件を超え、現在も99組145人の住みます芸人が、全国で活動している。
だが、その一方で、このプロジェクトは、それまで東京や大阪といった、競争の激しい大都会で芽が出ず、くすぶり、埋もれていた芸人が、「ローカルタレント」として再生する、あるいは「地域活性化の担い手」として生まれ変わるチャンスにもなったのだ。その「住みます芸人たちの10年」を追った――。

ホームレスだった時期もある崖っぷちの2人

プロジェクト開始当初は、「出身芸人が地元に戻る」というケースが、仕事の面からも、経費面からも望ましいとされていた。
さらに、震災直後ということもあり、47都道府県の中でも、岩手、宮城、福島の被災3県への派遣は、会社側からの「要請」ではなく、芸人自身の「志願」が条件とされた。が、前出の中村の出身地は千葉県、いなのは福岡県の出身で、2人ともそれまで、福島はもちろん、東北地方にも縁がなかったという。
「最初はもちろん『住みます芸人』に決まったら、千葉か福岡のどちらかに行こうっていう話はしてましたよ。その年(2011年)の1月に『住みます』の説明会があって、『若手は全員参加』みたいな感じで(ヨシモト)∞ホールに集められて。その時には、もう二人の間では、これ(住みます芸人)でいこうという感じでした」(中村)。
「コンビ組んだのは2006年だったんですけど、鳴かず飛ばずで。仕事といったら月に3本の(お笑い)ライブとか、たまに入るエキストラぐらいで、後はアルバイトばかり。バイトで生計立ててました。
いや、正確には(生計)立てれて無かったですね(笑)。中村さんはパチンコでバイト代、全部スっちゃって、家賃払えず、アパートから追い出されてましたし、僕なんか一時期、ホームレスしてましたから。沼袋(中野区)のほうに『平和の森公園』っていう公園がありまして、そこに1年半ほど住んでました」(いなの)。
「その間にもどんどん若手が入ってきて、埋もれていくって感じだったんで。このまま東京でやってても、一花も咲かせられないのかなって。お互い、そこそこ芸歴も長くなって、歳も歳だし。はっきり言って、崖っぷちだったんですよね。そこに『住みます芸人』の話が来たんで、だったら千葉でも福岡でも、どっか新しい土地でお笑い活動やるのもいいかな、と」(中村)。
だが、その2カ月後の東日本大震災で、2人の心境に変化が生じたという。


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