幼少期から将来を嘱望された日本を代表するサーファー
小学生時代から全国レベルで活躍してきた大野プロは、10代後半には同世代のワールドクラスのサーファーたちと戦うようになった。20代に入ると、まだ日本人が参戦していなかった世界最高峰プロツアーのCT(チャンピオンシップツアー)入りを目指し拠点をハワイへ。環境を世界基準に合わせ成長を目指した。
そのようなグローバルな視点によるプロ活動は40歳になった現在も続けており、豊富な経験と現役プロとしての力量に期待し、サーフィン日本代表チーム「波乗りジャパン」入りを誘う声がかかった。ポジションはキャプテン。選手とスタッフとの懸け橋が大きな役目である。
「打診は2018年、愛知県田原市でISA(国際サーフィン連盟)の世界選手権『WSG(ワールドサーフィンゲームス)』が開催される前にもらいました。現役へのこだわりはありましたが、日本代表として選ばれるべき選手が誰なのかは理解していたつもりです。
自分の役割は世界と対峙する選手の気持ちを汲み取りスタッフにフィードバックするなど、選手目線でサポートしチームとしての成熟度を高めること。半面、一緒に海に入ることも多く、切磋琢磨しながら自分のレベルを上げられるのはラッキーだと感じていました」。
以降、WSGには’19年の宮崎大会、今年5月末から開催されたエルサルバドル大会に同行。同大会から東京2020大会が終わるまでチームと一緒に動くなど、長く“日本サーフィン界のオリンピックプロジェクト”に内側から関わってきた。
本番となる東京2020大会のサーフィン競技会場は千葉県・釣ヶ崎海岸。サーファーにはよく知られたサーフスポットであり、大野プロも過去に何度も試合をしてきた。そのため国際大会を思わせる施設が設営されていても雰囲気は「サーフィン大会の延長」程度にしか感じられなかったという。
オリンピック種目になるとは、こういうことか。
そう実感したのは開会式に出る選手たちと選手村を訪れたとき。各界のトップアスリートが颯爽と歩いている姿を目にしたときだった。
「金メダルを狙うアスリートたちがごく自然といるんです。錦織圭選手や大坂なおみ選手、八村塁選手、最新設備の揃うフィットネスセンターにはノバク・ジョコビッチ選手の姿もありました。
選手村だから当たり前なんですけれど、その世界にサーファーが入っていける。入っていって受け入れられる。その現実に、“スポーツになる”とは、こういうことなのだなと感じました」。
日本選手団の一員として五十嵐が他競技のアスリートとごく自然に言葉を交わしている様子も目にした。それはおそらく“メダル獲得”という目的が一緒だから生まれた光景ではないかと、大野プロは推察する。
そしてその光景を見て、オリンピックとはサーフィン大会と異なる次元にあるスポーツイベントなのだなと感じ、興奮を覚えたのだという。
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