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2021.11.13

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サーフボードの原点。世界のコレクターが憧れる木彫りボードの美しさ

当記事は「FLUX」の提供記事です。元記事はこちら

近年認知度の上がってきた、ハワイの伝統的な木製サーフボード「アライア」。シェイパーの中でもレレオ・キニマカさんが手掛けるアライアは評価が高く、注文が止まない。
彼のアライアはそのデザイン性も際立つが、一族が17世代にわたってつないできた海を愛する思いのつまった作品なのだ。
オアフ島の西側で開催されるバッファロー・ビッグボード・サーフィン・クラシックの会場で、朝の日差しを浴びながら、レレオ・キニマカさんは自身の最新作を砂に立てている。伝統的なハワイの木製サーフボード、「アライア」だ。使用した木材はハワイに自生する熱帯広葉樹のもので、ハワイ諸島各地の6カ所を回って集めてきた。
「現代ハワイ文化の象徴のようなものだよ」と、作品を愛でながらキニマカさんは語る。「かなり細かく細工しているけど、ハワイの木で、ハワイのデザインだってことは変わらない。三角形の模様はサメの歯を表現したもので、パワーのシンボルなんだ」。
説明の合間にも、サーファーや浜辺を散歩する人たちが足を止めては、サーフボードの複雑な芸術表現について質問をする。砂浜にそびえたつボードは、まるで小さなオベリスクのように、昇りゆく太陽の光を受けてきらめいている。

「現代ハワイ文化の象徴のようなものだよ」


ほんの少し前まで、アライアとは何かということさえ、サーファーにはまったく知られていなかった。
だが2000年代初めに、トム・ウェゲナーやトム“ポハク”ストーンといったボードシェイパーが伝統的な木彫りを始めてから、西洋文化が入ってくる前のポリネシア文化に回帰したサーフボードが作られ、海で実際に利用されるようになった。
今ではオーストラリアやカリフォルニア、そしてハワイ全域でも、木彫りボードが製造・販売され、海で活躍している。
アライアはスモールウェーブ用のボードだ。装飾をいっさい施さずに作るボードシェイパーもいれば、きわめて装飾性の高い芸術作品として作るボードシェイパーもいる。キニマカさんが作るボードは後者の最頂点だ。世界中のコレクターが彼の作品を欲しがっている。
人気の理由は、ひと目見ればわかる。日差しを受けて輝くキニマカさんのアライアは、まるで13世紀のムーア建築と20世紀のサーフシーンを融合させたかのようだ。ビーチを統べるスルタンに相応しいボード、といった趣がある。
キニマカさんにとって、サーフボードとカヌー用パドルの複雑なデザインは、一族が数世代にわたって守ってきた海との絆のたまものだ。キニマカ一族の家系は17世代前までさかのぼることができる。その広大なファミリーツリーには、海にかかわるありとあらゆるプロが含まれており、有名人も何人か輩出している。
「祖父はサーファーだった。父は1940年代から’50年代にかけて、ワイキキのビーチボーイ(※観光客にサーフィンなどを教える仕事)をしていた。キャプテンだったんだよ」。父と母が出会ったのもビーチだ。『なあ、サーフィンしようぜ』が、父の究極の口説き文句だよ」と、キニマカは笑って話す。
一族がずっとそうだったように、キニマカさん自身もカウアイ島でサーフィンとカヌーに親しみながら育った。しかし1982年にハリケーン・イワがハワイ諸島を襲撃し、別の仕事を探さざるを得なくなった。
「観光客がぴたりと来なくなった。ライフガードやビーチのウェイター、サーフィン・インストラクターをやっていた連中は皆、建設現場に働きに出るしかなかった。それがきっかけで大工仕事を学んで、仕事にしてきたんだよ」とキニマカさんは説明する。
「海と陸が、生計を立てさせてくれる。そうやってずっと家族を養ってきた」。大工仕事ができるおかげで、太平洋のあちこちで働きながらサーフィンを続けることができた。南カリフォルニアやハワイ島で数十年間そうした生活を送ったあと、オアフ島ワイナマロで木彫り専門店を開いた。
カヌーのパドル、サーフボード、アクセサリー、室内装飾品などを手作りする店だ。キニマカさんが今も経営しているこの店では、廃材がいっさい出ない。ソファやオットマンを作ったあとに残ったくさびや詰め木は、サーフボードやパドルの制作に再利用する。
それでも親指くらいの木切れが残れば、アクセサリーを作るために使い回す。今、ビーチで足を止めてアライアに魅了される観光客に、キニマカさんは自分が着けている釣り針の形をしたペンダントも見せている。こまやかに作られた木彫りの釣り針は、ボードのカーブした金色のインレイとお揃いだ。


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