五十嵐カノアの銀メダル、都筑有夢路の銅メダルと、日本人選手の活躍が目立った東京2020オリンピックでのサーフィン競技。
専門メディアを超えて報道され、地上波でのライブ放送も行われた。日本サーフィン史において画期的な出来事となった今大会の意義を、日本テレビのライブ放送で解説を担当したプロサーファーの小川直久さんの言葉とともに振り返る。
台風発生と予定前倒しで頂上決戦はジャンクな波が舞台に
7月25日に始まった東京2020オリンピックでのサーフィン競技は、8月1日まで設けられた競技期間で波の良い日を選んで行われることになっていた。最もスムーズに進行できて全試合終了に必要な日数は4日。最速で7月29日に競技を終える。
波も台風8号の発生で懸念された最悪の事態「真夏のフラット(=波なし状態)」は回避。
しかし日本に向かってくる台風によって海が荒れてしまう危険性が生まれていた。危惧する声が最も大きくなったのは2日目(26日)の競技終了後。28日はキャンセルし、台風が過ぎ去った29日に行うのが良いのではないかという声もあった。
結果、協議を経て運営サイドは1日前倒しにする“荒技”を選択。3日間で競技を終えることを決断した。
28日にはTBSでのライブ放送が予定されていたが、メダルを賭けた戦いは、IOCのバッハ会長が視察に来ると言われていた27日に行われることになった。
「終わってみれば決断は良かったと思う」というのは小川直久プロだ。
小川プロはTBSで解説をする予定だったが、その予定はキャンセル。千葉県・鴨川の自宅に留まっていた。しかし翌27日に急きょ日本テレビが放送することを決定。早朝に小川プロに連絡が入り、解説をするために東京・汐留のスタジオへ急行することになった。
そんなドタバタ劇が裏側では展開され迎えたファイナルデイ。千葉県・一宮町の会場、釣ヶ崎海岸の海は強風によって大荒れ。一般サーファーでは太刀打ちできないコンディションになっていた。
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