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2021.07.16

ライフ

「経営の説明責任が足りない」と愚痴る上司は20代から呆れられる

 「20代から好かれる上司・嫌われる上司」とは……

日本はトップダウンの国か

「和を以て貴しとなす」と聖徳太子が十七条の憲法でのたまったように、もともと日本は「独裁者」が嫌いな国ではないかと思います。
強烈な創業者やプロ経営者のトップダウンによって動く組織はニュースなどで目立つのですが、うまくいっている日本の会社では、トップは良い意味でも悪い意味でも「御神輿」になって誰かに担がれて象徴となっています。そして、それを担ぐ中間層が実質的には最前線の現場から情報を集めて、戦略を考え、実行しているケースを多く見ます。
トップは組織に一体感をもたらしたり、最終的に責任を取ったりする存在で、実質的に組織を動かしているリーダーは中間層というのは日本のスタイルなのではないでしょうか。
そもそも聖徳太子も天皇ではなく、推古天皇を補佐する摂政でしたから。

明治維新もトップダウンで動いていたわけではない

考えてみればたかだか150年ちょっと前でしかない明治維新も、ミドルアップダウンで成し遂げられたものではないでしょうか。
明治天皇の父、孝明天皇は国を列強から守るためにさまざまな観点から外国を打ち払う攘夷を唱えていましたが、当時の江戸幕府の大老・井伊直弼は勅許を得ないまま自らの責任で日米修好通商条約を締結しました。
その後、孝明天皇には倒幕の意思はなかったようなのですが、薩長が「天皇の意志を奉じて行動するのだ」と、実際には藩が自らの意志で倒幕へと動き、戊辰戦争を経て、明治新政府樹立へとなります。
そして、その流れを考え、実行していったのは、各藩のトップではなく、西郷隆盛や大久保利通、坂本龍馬などの下級武士(≒ミドル)であったわけです。彼らはトップを立てつつも、自ら動いていた人々でした。


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