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「求めるもの」と「求められるもの」の乖離

こうしてまた日本で走り続ける日々に戻ったわけですが、現実はそんなに甘くありませんでした。時代はどんどん変わっていくし、僕自身の体も心も変化していく。お客さんに求められることと、アーティスト・作家として自分が追求したいことが少しずつ離れていくような、「あ、まずいな」という感覚を徐々に感じていました。
ニューヨークの自宅からインタビューに答えてくれた
そもそも、僕がつくった「大江千里」のコンセプトは、ノンビブラートの少し高めな甘めの声で、曲を聞いてくれる人が「自分だけに歌ってくれている」「応援してくれている」と感じられるような世界観。
若い時には誰もが経験する心に秘めた孤独や、誰にも話せない葛藤、そういった内省的な心の鍵を、僕の声と歌でこじ開けて共有するっていうのかな。そういう人たちにさりげなくエールを送る、それこそが「大江千里」だったんです。
ところがやはり時代は移り変わって、「頑張るのって恥ずかしいよね」「誰かの背中にエールを送るような楽曲ってどうなの?」という雰囲気が漂い始めた。
僕自身も30〜40代になると、ポップスを始めた頃のようなジューシーな気持ちだけではいられなくなっていった。自分自身とアーティスト大江千里との距離が広がるほど、大江千里に「なる」ためにスイッチを入れて「よいしょ」と頑張らなくてはいけなくなったというか。聞き手と作り手のニーズが一致する場所ってどこにあるんだろう、経験を重ねるほど深くなる思いを形にすることはできるのかな、なんて考えるようになりました。
ファンの皆さんは、ピークの頃の大江千里であり続けること、変わらないでいることを望んでいるかもしれない。けれど、それってある意味残酷で、作家である僕からしたら、懐メロでしかなくなってしまう。それは僕の意図する道ではなかったから、40代の僕が等身大でポップスをやるために、いろいろな実験をしました。
「君に出逢えてよかった!」というラブソングだけではなく、三角関係や恋愛のもつれをさらにシニカルに、主人公の年齢を上げて描いてみたり、40代に入ると少しアコースティックでジャジーな方向にチェンジした世界やインストゥルメンタルをやってみたり……。
でも、自分が思うクリエイティブになればなるほど、新しい一面を見せれば見せるほど、売り上げやヒットチャートの順位は下がっていく。
これまで培ってきた想像力や技術や経験を純化してつくった作品の評価がそうなるのだったら、自分が美しいと思えるポップスをやり続けるのはもう難しいのかも知れない。場所を変えるか、職業を変えるか──。そう試行錯誤した時期は、今振り返ると人生で一番エネルギーを使った時期かもしれません。自分としては葛藤していたこの頃の作品がいまも大好きなんですけどね(笑)。

今度こそ、後悔しない決断を

それからしばらくして、40代後半で今度は友人の結婚式に出席するためにまたニューヨークを訪れました。30代の始めに誓ったとおりに日本で頑張ってきたけれど、滞在した1週間でやっぱり魂が戻されるような感覚があった。そこで、ブライアントパークで楽器を肩にかついだ音大生とすれ違ったりして、ああ、そういえばニューヨークでジャズをやりたかったんだ!という気持ちが蘇ってきたんです。
ブライアントパーク(Getty Images)
それで帰国後いろいろと調べたら、海外からも音大を受験できることがわかって、ベーシストであり僕の先生である河上修さんに相談したら、協力してくださることになって。先生が教えてくれたとおりにジャズピアノを弾いて、3曲送ったら合格しました(笑)。大学側から「Approval(合格)」という通知がきた時には、ポカンとしてなんだかキツネにつままれたみたいで、信じられなかったですね。


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