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厳しい指導と「パワハラ」の境界線は難しい

パワハラか否かで問題になりそうなのは、「精神的な攻撃」と「過大な要求」でしょう(身体的攻撃など、ほかのものは比較的わかりやすい)。
上司が部下を育成する際に、期待をしている部下であればあるほど、一定の厳しさが出てくるものです。それなのに、能力やスキル不足ではなく、仕事への本気度が足りないがゆえに起こしたミスを叱責することや、これくらいの負荷は頑張って乗り越えてくれることで高い目標を設定することが、即パワハラと認定されてしまえばどうなるでしょうか。
もちろんパワハラは違法なのですが、すべての厳しい指導をパワハラとすることも本質的ではないでしょう。
 

厳しい指導を止めてしまうほうが楽

ところが、「何がパワハラかは曖昧だが、パワハラなら違法」となれば、「それなら『絶対にパワハラにならない』ために、厳しい指導を止めよう」という人が出てくることも予想されます。
そもそも日本人はネガティブフィードバック(否定的な評価を相手に告げること)が嫌いです。
期待や愛情があるからこそ、部下に対してダメ出しをしたり改善指導をしたりしているのに、それをパワハラと言われてしまうのであれば、気持ちが萎えてしまうのもわからないでもありません。
そんなことなら厳しい指導などせずに放置してしまい、ダメならダメで本人が報いを受ければいいと、高みの見物を決め込むほうが楽なのですから。
 

何でもパワハラと言われるなら説明不足でないかを反省する

しかし、それでは本末転倒で、上司失格ではないかと私は思います。すべてのハラスメントがそうであるように、パワハラかどうかを判定するのは部下です。
もし、部下のために(ひいては組織のためですが)行った厳しい指導がパワハラとされてしまうのであれば、単に「なら止める」ではなく、そもそもの説明不足を検討すべきでしょう。
上司として自分は部下のことをどう考えているのか、どのような意図で厳しい指導を行っているのか、それらが理解されているかどうかを反省しなければなりません。
これまで日本は共通文化基盤が多く、あうんの呼吸が通用するハイコンテクスト社会でありましたが、徐々に社会が多様化するにつれ、離れた世代間ではけしてハイコンテクストではなくなっているのですから。


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