数奇な出会いから始まった日本のサーフィンの夜明け
| 日本版編集長 井澤聡朗さん 神奈川県生まれ。「ザ ・サーファーズ・ジャーナル日本版」に創刊メンバーとして参画し、現在まで携わる。サーフィンの名作映像の数々を制作してきた映像プロデューサー。主な作品は『ウィングナットのアート オブ ロングボーディング』シリーズ。 |
僕にとってこれまで最も印象的だった記事は日本版初のオリジナルコンテンツ。「サーフィンライフ」誌の初代編集長だった森下茂男による、昭和の高度成長期に誕生した本格的サーフボードブランド「MALIBU」の発端から終焉までを追いかけた物語だ。
カリフォルニアからやってきたひとりのサーファー、タック・カワハラと勇気ある日本企業との出会い、日本のサーフィン黎明期を彩った個性的なサーファーたちの姿、スポーツとしてのサーフィン競技の誕生、そしてやがて訪れるバブルを予感させる社会の動き……。この国でサーフィンが活性化していく胎動期のありさまが躍動感溢れる筆致で12ページにわたり綴られている。
ストーリーの構成から写真のチョイス、各ページのレイアウトやキャプションの一言一句にいたるまで、本家が標榜する「常に本質的であれ」という教えが貫かれている。アカデミックかつ文学的、そしてGoing Deeperであり続けるサーフィンジャーナリズムへの、僕らの挑戦の始まりでもあったのだ。
日本版を創刊して10年。この記事を出発点に、オリジナルコンテンツへの真剣勝負は今も続いている。
常に扉を開いてくれる海のおおらかさ
| 日本版マネージング・ディレクター ジョージ・カックルさん 神奈川県生まれ。「ザ ・サーファーズ・ジャーナル日本版」の創刊メンバー。古今東西の音楽と文化と人間くささをこよなく愛するラジオDJとして活躍。現在、毎週日曜日インターFM「レイジーサンデー」などの番組でパーソナリティを務める。 |
過去30年にわたり、たくさんの素晴らしい記事が掲載されたが、特に心に残ったのはブライアン・ディサルバトールによるこのエッセイだ。
あるサーファーがサーフィンから離れてしまうが、再びその世界に戻るというストーリー。人は一度でもサーフィンをしたら、永遠にサーファーの心を持つ。そんなことを改めて思わせる内容だった。
サーフィンはしばらくやっていないと、以前のような体に戻るまでに時間がかかる。それはきっと誰でも同じだろう。頭と心の中は十分にサーファーでも、体はそう簡単に動いてはくれない。
人が少ない海で練習をしたくなるし、そのときのぶざまな姿を見られたら「俺は昔サーファーだったんだ!」と叫びたくもなる。ヘトヘトになり、みんなの前で恥をかきながら“サーファー”に戻ろうと必死になる。
サーフィンから離れたことがあるサーファーならば、誰もがこんな経験をすると思う。僕もそうだった。でもまたサーフィンを始めれば、新しい仲間もできるし、新たなサーフィン人生が待っている。そのとき同時に感じるのは、海は再び歓迎してくれるということ。波はいつまでもサーファーを待ってくれているんだ。
文化を守るうえで大切な永続する土着の生命力
| 日本版副編集長 高橋 淳さん 埼玉県生まれ。「月刊サーフィンライフ」から雑誌編集のキャリアをスタート。2020年より「ザ ・サーファーズ・ジャーナル日本版」の制作に参加する。サーフィンを専門にするフリーランスの編集者、ライターとしてさまざまな媒体で活躍中。 |
パプアニューギニアで今起きている、世界的な「木」に関する社会問題に切り込みながら、伝統的かつ持続可能な方法で育まれる現地のサーフィンを描いたマティー・ハノンによるドキュメンタリー。
世界にはその土地土地で育まれてきたサーフィンのやり方があり、文化があります。でも現代において、油断をしているとあっという間に大きな資本をベースとするかりそめの利便性と華やかさを餌にした均一化という波にのみ込まれ、その多様な文化は根絶えてしまう。この図式はサーフィンに限らず、あらゆることにおいて今世界で起きていること。
パプアニューギニアのサーファーたちはその危険性に気付き、自分たちのルーツに立ち返って知恵を働かせ、ほかのどこにもないオリジナルのサーフィンの在り方を実践しています。
サーファーはときに、世界が抱える問題を解決に導くアイデアを提案することがある。そのアイデアは遊びの中から自然に生まれる。そんなところにサーフィンの真の価値があるのではないのでしょうか。
日本版10.6に和訳の記事がありますので、興味が湧いた方はぜひ手に取って読んでみてください。
PEDRO GOMES、熊野淳司、高橋賢勇、清水健吾、鈴木泰之、柏田テツヲ=写真 小山内 隆、高橋 淳、大関祐詞=編集・文 加瀬友重、菅 明美=文