「ノア」ファウンダー、ブレンドンさんの場合
同じように考えるサーファーは多いのだろう。暖かくなりサーファーが増えてきた今では、それぞれが適度な距離を保ちながら、波に乗る行為そのものを楽しんでいる。
マンハッタンにオフィスとショップを構え、今や日本でも人気のブランド、ノアのファウンダー、ブレンドン・バベンジンさんもその一人だ。
「ロックダウン中、実はけっこう海に行っていました。リモートワークになりオフィスに行く必要がなくなりましたからね。パンデミックとなり、最初にパドルアウトしたのはロッカウェイビーチ。まだ冬で、海には馴染みの顔しかいませんでした。
人々は暮らしのなかでソーシャルディスタンスを取っていましたが、サーフィンはそもそも自分のスペースを確保しながら波を待ち、キャッチしていくもの。誰かと触れ合う必要がありません」。
州の南東部にある大西洋に浮かぶ島、ロングアイランド出身のブレンドンさんは子供の頃にサーフィンを始め、今も最低2週間に1度は海に行くライフスタイルを送る。ロッカウェイだけでなく、ときにはロングアイランドの東端にあるサーフタウン、モントークへも足を延ばす。
幼少期から続けているニューヨークでのサーフィンは、玄関を出た瞬間にスケートボードをプッシュするスケーターに似て、ブレンドンさんにとって日常のことなのである。
「サーフィンはいつだって希望の光。パンデミック中もそうでした。たとえ悩みや問題を抱えているときでさえ、波を必死に追いかけている間は無心になれます。
無心になれるから頭の中はカラとなり、次には今向き合うべき重要な事柄が優先度の高い順番で浮かんできます。考えが整理されて、ポジティブに人生と向き合えるようになるんです」。
このコロナ禍には全米でサーフィンが流行しているという。サーフボードもフィンも、人気のギアはソールドアウト。次の入荷まで数カ月待ちというブランドも少なくない。
もし人々がもっとサーフィンを楽しむなら、それはいい兆候だとブレンドンさんは考える。なぜなら、自然を大切に思い、大切な自然と寄り添うことができるように生活を見直すはずだから。そして健康的な生活は豊かさをもたらしてくれるからである。
一方、気になったこともある。それは孤立。
「昨春に感染が広まり始めた頃、海の中にいたサーファーは全員が孤立を感じていたと思います。普段なら各々が距離を取って波を待ちながらも、サーフィンの楽しさを共有する雰囲気がありますが、あの頃は周囲に気を配る余裕がなかったといいますか。自分と波。それだけで世界が完結していたように思うんです」。
未知なるウイルスと向き合う不安。リモートワークによる社交の損失。人々は孤立し、サーファーもまた海のなかで、各々が波と向き合うことで必死に自分を保っていたのではないか。そうブレンドンさんは回想する。
そしてクリスさんは、パンデミックとそれによる孤立を経験し、人とのつながり、友情関係の重要さをいっそう強く認識したのではないかと言った。
「ニューヨークには、さまざまな夢を抱き、成功させたいと願う人たちが世界中からやってきます。億万長者の子孫も、貧困地域出身の何も持たない人も、ここにきて新しい人生を切り開いていくのです。そのためには精神的なタフさ、能力や知性を磨き続ける力といった個人としての強さが求められます。
しかし過酷な生活を強いられる彼らの多くは、ひとりで生活している人がほとんどです。ニューヨークに家族がいないのです。
だからこそ友情が重要になり、仲間が家族という存在になるのです。パンデミックはこの関係の重要性にいっそうの光を当てました。
大きな問題に対しては周りのコミュニティ、仲間たちと一緒に向き合うことが重要なのだと。そのためにも私たちは、もっとお互いを理解し、お互いを尊敬する必要があるのだと。そう学んだと、私は思います」。
昨年の初秋、ハリケーンによる波がヒットした。澄んだ空、オフショア、頭サイズのスウェルという絶好のサーフィン日和。海には素晴らしい波を狙いにきたサーファーたちが見られ、テイクオフからボトムターンを切り、崩れてくる波の懐へ姿を消していく者もいた。
クリスさんは知人に撮ってもらった映像をカリフォルニアの友人へ送り、電話で波やサーフボードのデザインを話題に盛り上がった。ブレンドンさんもオフィスなどで友人知人との充実したサーフィン話をシェアした。
時期は第2波が襲い感染が拡大していたタイミング。それでもふたりは、パンデミックで再確認したサーフィンの意義と楽しさをそれぞれの仲間と共有し、共有できるつながりにも感謝しながら、次なる波を思って笑いあった。
PEDRO GOMES、熊野淳司、高橋賢勇、清水健吾、鈴木泰之、柏田テツヲ=写真 小山内 隆、高橋 淳、大関祐詞=編集・文 加瀬友重、菅 明美=文