東京五輪の延期、そして引退
北京五輪が終わった時点で、当時まだ24歳。所属していた会社を辞めるなど環境の変化はあったが、次の目標である2012年のロンドン五輪を目指し、精力的に国内外の大会に出場した。しかし結局、ロンドンへの切符はつかめなかった。
「ロンドン五輪に出られないとわかったとき、初めて『引退』の二文字が頭をよぎりました。最終的には現役続行の判断をしましたが、自分の引退後──セカンドキャリアについて、初めて考えたのもこのときです」。
子供の頃からオリンピックのことだけを考えて生きてきて、オリンピックで結果を残すことができれば、それでいいと思っていた。だけど、オリンピックが終わったあとも人生は続く。
「そこで、2012年頃からアスリートとして活動する一方で、トランポリンイベントへの出演、講演、トランポリンの外国チームの日本での合宿の誘致・アテンド、試合解説など、副業のようなことを始めました。これまでの経験を活かして、人の役に立てることをしよう、と」。
残念ながら2016年のリオ五輪出場も叶わなかったが、次、2020年の五輪は東京で開催される。それまで頑張ってみようと決めた。
「なぜ自分はここまで五輪にこだわるのか。競技人生の後半は、そう自問自答することが多かったです。たぶん僕は、皆に喜んでほしかったんだと思います。
よく人から『五輪に出るなんてすごい、普通は経験できないことだよ』と言われてきました。それはたぶん事実なのでしょう。だったら、僕の五輪への挑戦を、僕が発信する情報を通じて皆さんに擬似体験してもらいたい。そのために、とにかく2020年までは競技を続けようと」。
しかし外村さんの奮闘もむなしく、感染症の世界的パンデミックという未曾有の事態によって東京五輪は延期に。外村さんは判断を迫られることになった。
「単に現役を続行するだけならできたと思います。だけど、僕の場合は五輪へ挑戦する姿を皆さんに見せるという目標があったし、夢を応援してくれるスポンサーさんもいました。だから体力的にも精神的にも資金的にもぎりぎりの状況で続けていましたが、延期されるとわかったとき、そこからさらに1年ベストを尽くせる環境は整わないと判断しました」。
ベストを尽くせないなら続けるべきでない。それが外村さんの出した結論だった。
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後編へ続く 外村哲也(そとむらてつや)●1984年、東京都生まれ。幼少期から体操に慣れ親しみ、6歳のときトランポリン競技に出会う。10歳で本格的にトランポリンに転向すると、2003年にはシニアの世界選手権に初出場。2005年の世界選手権では日本史上初の全種目メダル獲得、2007年には世界選手権初優勝を飾った。2008年の北京オリンピックに出場し、4位入賞。以降、2020年6月の現役引退まで、日本代表として第一線で活躍を続けた。現役引退後は、1対1のコーチングで人をサポートする「
しなやかメンタルクリエイター」として活動をスタート。18年もの間、アスリートとして世界のトップクラスを維持してきた経験をスポーツ以外の世界にも応用してもらうべく、「しなやかなメンタル」を構築し、試練を乗り越え目標を達成するサポートをしている。
「37.5歳の人生スナップ」とは……もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。
上に戻る 赤澤昂宥=写真 岸良ゆか=取材・文