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チョコレートビジネスが動き出す

ダリケーの「Dari」はインドネシア語で「~から」を意味する言葉。「K」は、スラウェシ島の形を表すとともに、創業の地として選んだ京都(Kyoto)の頭文字でもある。スラウェシ島から、そして京都から始まった吉野さんの挑戦は、スタート当初は上々だった。
創業10年周年の2021年3月、創業の地である京都・三条に移転したダリケー本店。(写真提供:吉野慶一)
「1号店をオープンしてすぐは驚くほどチョコレートが売れました。よくよく考えればパンだって焼きたてがおいしいし、コーヒーも挽きたてがおいしい。それと同じで、チョコも挽きたての豆を使ったフレッシュなものがおいしくないはずがないんですよね。
それで最初は順調だったのが、4月にオープンしたあと気温が上がるにつれて、徐々に売れなくなっていったんです。チョコって季節モノで、暑くなると売れなくなる。6月には1日のお客さんが数人の日も珍しくなくなり、赤字がかさむ一方。このままだと近いうちに店を畳まないといけないかもと覚悟しました」。

そんなある日、男性客がやってきた。話を聞くと、京都のホテルの料理長だという。その彼が、ダリケーのチョコをホテルで使いたいとオファーしてくれた。ありがたいと思いつつ「正直にいうと店をつづける自信がない」と告白すると、今ダリケーのチョコが京都の料理人の間で話題になっていると教えてくれた。
ダリケーのチョコは、パリで食べたチョコと同じくらいおいしい。安いチョコに慣れている日本人のお客さんにわかってもらうには時間がかかるかもしれないが、もう少しの辛抱だよ、うちのホテルで使うから頑張りなよ。そう言ってくれた。
「同じようなケースがもう1件あり、ダリケーのチョコを京都市のホテルに卸しはじめました。パリで修業していたシェフに褒めてもらえると自信がつくし、『高級ホテルで使ってもらっています』と謳うこともできる。そこから全国の百貨店の催事などにお声がけいただくようになり、徐々に軌道に乗っていったように思います」。
サロン・デュ・ショコラにて。(写真提供:吉野慶一)
評判が評判を呼び、2015年にはパリで開催される「サロン・デュ・ショコラ」に初出展。ショコラティエとして知名度を獲得していくと同時に、さまざまな企業からカカオ豆を使ったコラボ製品の開発を打診されるようになる。一方で、吉野さんは自らのビジネスを冷静に見つめ直していた。
「創業当初こそ自家製のチョコレートを店頭販売することに躍起になっていましたが、そもそも僕がこの仕事をはじめたのは、スラウェシ島のカカオを日本に広めるためです。おいしいチョコを作るだけなら、僕よりも優秀なシェフがいっぱいいるし、仮に超有名店になれたとしても、カカオの使用量には限界があります。
自分たちはカカオ農家と協業して高品質なカカオ豆を自社で仕入れていることが強みなのだから、豆そのものを活かしたことを同時進行でやるべきなのではないか。そんなことを考えるようになりました」。
ダリケーは少しずつビジネスの形を変えようとしていた。
後編へ続く
吉野慶一(よしのけいいち)●1981年、栃木県生まれ。慶応義塾大学経済学部、京都大学大学院、オックスフォード大学大学院卒業。18歳からバックパックで約60カ国を旅する。外資系金融機関などで金融アナリストとして勤務後「世界の現状を憂いたり、出来ない/やらない理由を声高に叫ぶだけでは、自分も世界も何も変わらない」と29歳で脱サラ。2011年にチョコレートブランド「Dari K(ダリケー)」を京都で創業する。2015年から4年連続でパリ「サロン・デュ・ショコラ」に出展し、国際的な品評会C.C.Cでは4度ブロンズアワードを受賞。
「37.5歳の人生スナップ」とは……
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る
中山文子=写真 岸良ゆか=取材・文


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