潜りと水中写真が好きでダイビング雑誌に潜り込む
自然写真家を生業とする高砂さんは水中写真家からキャリアを始めた。ダイビングが好きで、水中写真を撮るのが好き。世界の海を撮り続けられたら最高だと思い、飛び込んだのがダイビング誌だった。
スタートはアルバイト。当時の出版界は活況で、雑用をこなしながらも徐々に仕事をもらえ、やがて世界各国の海を飛び回るように。そして冷たい東北の海が出身の青年は、暖かなモルディブの海で不思議な経験をする。
「透明度の高い海の浅瀬に裸に近い状態で入り、プカーと浮かんでみたんです。やたら気持ちいいな。どんどん力が抜けていくな。文字どおり、ポカポカ、ふわふわ、といった気分で、やがて水と自分の境界線がわからなくなるような感覚に陥りました。
海に同化したのか、羊水にいた記憶とシンクロしたのか。言葉ではうまく説明することのできない気持ち良さに包まれたんです」。
それは水の気持ち良さを明確に意識した瞬間であり、写真家としての転機ともなった。
長く、世間における水中写真とは図鑑に載るような写真を意味する時代が続いた。新しい扉を開いたのは中村征夫さん。水中写真家の第一人者として、生態的にのみ撮影されてきた魚を擬人化し親しみの湧く表現を行った。その功績から1988年には木村伊兵衛写真賞を受賞した。
そして次世代の高砂さんは海そのものに視線を向け、水中写真の概念を進化させていく。’93年に出版した初めての写真集『free』には、キラキラと反射する水と光の世界など、気持ち良いと思う瞬間や光景を閉じ込めた。いわば高砂さんの感動が詰まった一冊。それは真新しさもあり、世間に見事に受け入れられた。
以来、年に半分以上は東京のオフィスを不在にする生活となり、写真集の出版を重ね、写真展を開催していった。そうして仕事や作品撮りで世界各地の海に潜ると、いろんな生き物に出会うことになる。イルカやアシカといった哺乳類に親近感を抱き、サンゴにも多くの種類があるのだと気付いた。ナマコのような不思議な形をする生き物もいた。
いったい、この世界はどのような仕掛けで循環しているのだろう。
潜るほどに疑問が生まれ、意識はどんどん広がっていく。意識の向かう先は水の中だけではなく、陸上へも。やがて高砂さんは生物が進化したように、海から陸へ活動の幅を広げていった。
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