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テイラーキャンプが遺したもの

とはいえ、テイラーキャンプから生まれたさまざまな文化的派生物は、今も息付いている。エリザベス・テイラーが、キャンパーからもらったプカシェル(※訳注 イモ貝をつなげて作ったネックレス)を身に着けて写真を撮ったところ、プカシェルの世界的な流行につながった。
ハワード・テイラーさんが著名人として初めてカウアイ島北岸に居住したことをきっかけに、大勢の著名人がその後もこの地域に移住した。1970年代に世界中の人を島に引き付けたのは、カウアイ島で生き生きと暮らすキャンパーたちをコダクロームで撮影した写真だったが、今では雑誌やインターネットの美しい画像が同じ役割を果たしている。
青い色合いと白い砂浜はSNSに載せるべき最良のコンテンツであり、毎日団体ツアー客を砂浜に呼び寄せる要素でもある。クヒオハイウェイからマクアビーチ(別名トンネルビーチ)は、かつて人里離れたのどかな道のりだったが、今では大勢の観光客が歩いて通り過ぎていく。

まったく同じ白のフォードかジープのレンタカーが列を成す中、日光でボンネットが色あせた地元の車がたまたま通りかかるとひどく目立ち、図らずも沈黙が訪れる。観光客の行進とカウアイ島の営利化に異を唱えているかのようだ。
10年近く続いた法廷闘争ののち、1977年後半にキャンパーたちは土地を立ち退くことになる。ツリーハウスは警察がすべて燃やした。残されたキャンパーは、ほかの地域に移ったり、ハワイ島に向かったり、カウアイ島に留まって社会の多数派から「落伍者」と呼ばれるような生活を送ったあとで社会に戻る、という不名誉に折り合いをつけたりしている。
それでも、キャンパーに関する話や写真は残っている。残り火は今も燃え上って、火花が舞い続けている。わずかな時間だったが、確かに彼らは自由だった。
 
 
クリスチャン・クック=文 ジョン・ヴァーハイム=写真 加藤今日子=翻訳
This article is provided by “FLUX”. Click here for the original article.


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