「腕時計と男の物語」とは……ふとページを開いた雑誌に懐かしい顔を見つけた。
ジャズバーの特集。その一軒のオーナーとして登場していたのは、学生時代のバンド仲間だった。いい音楽と旨い酒、そしてこのご時世でも、ときにはライブも演っているようだ。
そうか、まだ音楽と向き合っていたか。こちらはプロを目指したが芽は出ず、ある日面白半分に作ったアプリが音楽関係者の間で思わぬ評判を呼んだことをきっかけに、一念発起して起業したのだった。だが当初こそ業界を変革するとまで意気込んだものの、しだいに情熱は薄れていった。
これが本当にやりたかったことか?そんな自問の日々に、今も変わらず音楽に情熱を傾けるやつの姿は眩しく見えたのだ。久しぶりに聴きたくなったのが、マイルス・デイヴィスの『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』だ。
マイルスについてふたりは真っ向から対立した。研ぎ澄まされたモードジャズを好んだやつに対し、僕は断然’80年代以降を主張した。当時6年間の沈黙を破り、新たな方向性を模索する帝王の葛藤と人間くささに魅かれたからだ。
腕にした
ピアジェの「ピアジェ ポロ スケルトン」も、初代モデルは同時期の1979年に誕生した。スタイルはポロ競技後に催される華やかなパーティから着想し、エレガントさにも荒ぶるスポーティな鼓動を秘める。圧倒的な薄さは、ムーブメントがあることさえ感じさせず、スケルトン化によって初めてその精緻な存在を主張するのだ。
そしてもうひとつ。マイルスがピアジェのスケルトン時計をステージでも好んで愛用したことも選んだ理由にほかならない。
実はこのアルバムの評価はあまり芳しくない。でもそれは訳知り顔のマニアの評論にすぎないだろう。発売と同時に手に入れ、盤面に針を落とした瞬間の衝撃は今も忘れられない。完成度や演奏レベルを超え、何かを掴もうとする愚直なまでの姿勢が伝わり、それはまさにクールなマイルスだった。
本当のカッコ良さとはきっとそういうものなのだ。たとえ周囲に理解されなくても唯一無二のオリジナリティを求め、これまで自分が築いたスタイルや価値さえもぶち壊し、前に進んでいく。その輝きは革新を続ける「ピアジェ ポロ」にも通じる。
久しぶりにやつと言葉を交わしたくなった。この時計を見て「お、マイルス気取りかよ」なんて軽口を叩かれるかもしれない。きっと僕はこう返すだろう。そうだよ、カムバック後のね、と。
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