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『人数の町』で描いた「人」が「数」になる恐怖

完成した『人数の町』が観客にどのように受容され、映画界でどのように評価されたのかは、前編の冒頭で紹介したとおり。荒木さんは「すばらしいキャストとスタッフに恵まれたおかげ」と言うが、『人数の町』は間違いなく映画作家・荒木伸二のデビュー作だ。
文芸評論家の亀井勝一郎は「作家は処女作に向かって成熟しながら永遠に回帰する」と言った。では、荒木さんが『人数の町』で描こうとしたものはなんなのだろうか。
『人数の町』の舞台は、出入り自由だが、決して離れることはできない奇妙な「町」。そこに住む人びとは、大型バスで送り込まれた投票所での投票、インターネットへの書き込みといった作業と引き換えに衣食住が保証される。つまり、人びとはこの町では動員の駒──単なる「数」として扱われる。
『人数の町』©2020「人数の町」製作委員会
「子供の頃から、名前でなく出席番号で呼ばれることに対する恐怖がありました。そんな意識が物語の背景にあるとは思いますが、『人数の町』という題の脚本を構想しはじめたのは2011年頃です。
たとえば東日本大震災が起こった日、東京では帰宅困難者が大量に発生して、みんながぞろぞろ歩いて家に帰っていましたよね。その光景を見て抱いた違和感や、当時、一般に浸透しはじめたSNSのタイムラインに人びとの意見がぞろぞろと流れていく怖さ。
そういった、『人』が『数』になったときに異常に力をもつ感じ、多数決の怖さをテーマにした作品をつくればおもしろいんじゃないかと考えたんです。この制度、本当に僕らの社会にフィットしているの? と、システムの根幹を疑いたかった」。
そして、『人数の町』のもうひとつの重要なテーマが「自由意志」と「決定論」だ。人間には自由意志があり、自らの行動は自分の意思だけで決めることができる。いや、そうではなく、世界には自然法則があり、あらゆる物事はあらかじめ起こると決まっている(=決定論)。
この「自由意志か、それとも決定論か」は、昔から哲学者や科学者によってたびたび繰り返されてきた思索であり、こじつければ、人生の岐路にさしかかった男たちに迫る本連載に通じるテーマでもある。
映画やドラマの題材になることも多く、『人数の町』では、どの住民も「町」を出ようとしないなか、自らの意思で「町」を出た唯一の男女、その結末はいかに? といったかたちで「自由意志」と「決定論」の要素が盛り込まれる。
『人数の町』©2020「人数の町」製作委員会
自らの行動は自分の意思だけで決めることができるのか。あるいは、あらゆる物事はあらかじめ起こると決まっているのか。
「『人数の町』におけるそのテーマの解釈は本当にさまざまなので、どう受け取るのかは見た人に委ねたいです。
僕自身の考えをいうと、たとえ決定論的世界のなかにあってもほんのわずかに自由意志を滑り込ませるとか、決定論的世界が隙を見せた瞬間にパッとそこを脱出するとか。そんな、ぎりぎりのところを攻める感じが脚本を書いているときの気分だったと思います」。


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