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45歳を過ぎて脚本がコンクールで受賞しはじめる

荒木さんがやりたいことは、もちろん映画だった。自分で映画をつくる。そのために脚本を書く。
脚本の指南本を買って独学してみたが、なんだかピンとこない。そこで、思い切って表参道にあるシナリオスクールに入学し、仕事の合間に通うようになった。2012年、40歳を過ぎていた。
「シナリオスクールでは、映像作品特有の脚本の書き方を教えてもらいました。大学で小難しくは勉強してたけど、実践的な授業は初めてで。初心者クラスで基本的なことを学んだら、次は5人~10人のクラスに入って、ひたすら脚本を書くんですね。それを週に一度の授業でみんなの前で朗読して、感想を言い合う。
最初はめちゃくちゃ恥ずかしかったんですが、やっているうちにだんだん気持ちよくなって、ハマりまして(笑)。毎週のようにネタを考えて脚本を書き、人前で読んで、というのをやってました。『この遊び、永遠につづけられる』と思ったけど、僕は年食ってるし、だらだらやっていても仕方がない。そう考えて休校届を出し、脚本コンクールに注力することにしました」。
それからはひたすら脚本を書き、NHKや民放テレビ、映画祭の脚本コンクールに応募した。だいたい2カ月に1本、多いときで月に1本のペース。最初の2年はまるで選考に引っかからなかったけれど、ある年、TBSの脚本コンクールの一次選考に残った。
そのあたりを境に、おもしろいように結果が出るようになった。2016年にテレビ朝日新人シナリオ大賞の優秀賞を受賞し、翌年にはMBSラジオ大賞の優秀賞を受賞。
そして、2017年におこなわれた第1回木下グループ新人監督賞で、応募作品241編のなかから準グランプリに選出される。このときの受賞作が、のちに映画化される『人数の町』だった。

「木下グループ新人監督賞は、キノフィルムズによる新人監督を発掘するためのコンクールなので、受賞作は応募者がキノフィルムズのサポートを受けて監督し、商業映画として劇場公開されることが前提になっていました。映画制作費の上限は5000万円です」。
荒木さんにとってはこれ以上ない条件の受賞だったが、受賞作がすぐ映画化されるわけではなかった。準グランプリを受賞後、ひとまず『人数の町』はキノフィルムズによって“開発”されることとなった。
「“開発”というのは、簡単に言うとプロデューサーたちと一緒に脚本に肉づけをしていく作業です。一度集まると3時間くらいかけて、フリートークに近い感じでアイデアを出し合う。もう、どんどんアイデアが出てくる。投げていただいたものを脚本に採用するかしないかは作家である僕次第なので、自由でおもしろい意見を忘れないようにメモを取るだけでも必死で。
そうすると、1人では絶対に生まれない発想が出てくるし、逆に、他人になにを言われようが、自分はぜったいに譲りたくないポイントも見えてくる。すごく有意義な時間でした。この“開発”が1年弱──8カ月ほどつづいたのかな。脚本は18稿になりました。
キノフィルムズさんとの共同作業を楽しむ一方で、あまりにも話がウマすぎると感じる自分もいて。なんだかんだで『人数の町』も映画にはならないのでは? という疑念が常にありました」。
 
そんななか、荒木さんが主演俳優として名前を挙げていた中村倫也が『人数の町』出演を快諾したことで、事態は急展開を迎える。
ほかの出演者やスタッフも次々に決まり、映画化が正式に決定。2018年5月に撮影がスタートすることが確定した。
>後編へ続く
荒木伸二(あらき・しんじ)●1970年、東京生まれ。東京大学教養学部表象文化論科卒業後、広告代理店に入社。CMプランナーとして松本人志が出演する「バイトするならタウンワーク」のCMやミュージックビデオなどの企画制作をする。本業の傍ら、2012年よりシナリオを本格的に学び、第1回木下グループ新人監督賞の準グランプリに選出された脚本『人数の町』が映画化。2020年9月、監督デビュー作として全国公開された。
「37.5歳の人生スナップ」とは……
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る
赤澤昂宥=写真 岸良ゆか=取材・文


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