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ファッションとして火がついたのは、戦後の女性向けモデルから

ペンドルトン
20世紀初頭は毛織物以外にスーツ生地なども生産していたそう。
ネイティブアメリカンへの製品供給と並行して、早くからファッショントレンドに着目していたことも、ペンドルトンならではの特徴と言えよう。
すでに1924年には、現在も流通しているような高品質なバージンウールを用いたカラフルなシャツを手掛けていたのだから驚きである。
ペンドルトン
戦後に女性の就業率が上昇する中、「エリート男性と結婚して郊外の住宅地で専業主婦になる」ことは理想の選択肢だった。
ペンドルトンにとっての大きな転機は、大戦後の1949年。レディースラインのひとつとしてリリースされた「49erジャケット」の大ヒットが、ペンドルトンの名を世間に大きく広げるきっかけとなった。
シンプルでカジアルなスタイリング。製品としての本質的に高いクオリティ。当時のアメリカで始まった郊外でのライフスタイルに憧れる女性の需要に、この製品が完全にマッチしたのである。
当時はオレゴン州にシャツだけで3つの工場を構え、ウールシャツをはじめとするペンドルトン製品は、文字通り飛ぶように売れたそうだ。


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