母から受け継いだDNA
ここは、1979年に始まったごたごたと混み合ったマーケットで、私たちの母もこれまで不要品を売ってきた。都心から離れた田舎や郊外の子供たちと同じく、私も炎天下の中、日差しを受けながら何度となくここで週末を過ごした。
間違いなく誰かの車庫から引っ張り出してきた中古のサーフボードのブースや、ドライフルーツにしたパイナップル、スイカのグミ、自家製のリヒムイ(※訳注:干し梅に塩と砂糖とカンゾウをまぶした甘塩っぱい駄菓子)で山積みになった屋台を素通りし、母のあとについていった。ロゴ刺繍のワッペンを手にした、戦争中の懐古主義にどっぷり浸かった売り主の間を縫うように進み、格安の流行り物に釘付けになっているおばさまたちの間をかき分けていった。
カーニバルを思わせる売り主の大きな声(「かわいいウサギのぬいぐるみだ! これ以上かわいいのがあったら、お金、返すよ!」)が響き渡り、在庫の品が積み上げられていた。さらに、投げ出された家財道具を適当に寄せ集めたブースや、前日の夜に、誰かのヤードセールの品を急遽まとめたお店もあった。中世の村にふさわしいマーケットだった。
母はどうだったかというと、いつでも曖昧な定義である「完璧な」掘り出し物を狙っていた。本当に特価品を狙っている人なら誰もが内心でわかっているように、完璧な掘り出し物というものは基本的に存在しない。
悟りを開くための数々の宗教ロードマップのように、それは目的を達成するための手段であり、探求心に終生の誓いをたてるということだ。完璧な掘り出し物など絶対に存在しないだろう。この先、母がスワップミートに行くのを絶対にやめないのと同じように。そういうものだ。
でも、今日は例外。 完璧な掘り出し物が見つかるはず。
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