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「信じる」と「予想する」の違い

このことを考えるのに、似たような言葉を対比させてみましょう。例えば、「信じる」ということと、「(そうではないかと)予想する」とはどう違うでしょうか。
私は、後者にはさまざまなデータからの計算が前提にあって、その結果こうなるのではないかという意味で使っています。つまり、そこには「なんとかやってほしい」という願いや、「この人ならやってくれるのでは」という期待などは入ってきません。
前者の「信じる」は違います。計算によって予想するのではなく、ある意味、無条件性があるのが「信じる」です。明確な根拠はないけれどもできると願って、期待して、任せることが「信じる」ではないかと思います。
 

非行少年が更生の過程で必ずすること

ここで、ちょっと横道にそれたような話をします(関係があるからですが)。
非行少年の更生を支援している私の知人から聞いた話なのですが、非行少年は順調に更生してきたと思ったときに、一度支援者を裏切るような行為を行うというのです。
そこでのNG対応は「信じていたのになぜこんなことをしたのか」と問うことだというのですが、それはなぜでしょうか。
非行少年は自分を信じてくれる人に飢えています。そして彼らの「信じる」は純粋で、上述の「予想する」ではなく、無条件に信じてほしいと思っています。それが自分の自信につながるからです。
つまり、なぜ先の言葉がNGかというと、本当に無条件に信じていたのであれば、「信じていたのに……」ではなく、「何かの間違いだよな。君がそんなことをするはずがない」と、まずは事実が明らかになるまで信じ続けることなのです。


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