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あのF1レジェンドも開発に携わる

その開発過程で、ホンダがアドバイス仰いだ人物がいる。アイルトン・セナだ。
当時は彼とアラン・プロストというスーパースターが同じマクラーレンチームに所属し、どちらかが必ず勝利していたようなF1黄金時代。
そのマクラーレンのF1マシンにエンジンを供給するカタチで参戦していたホンダは、NSXの発売前の1989年、F1のニューマシンのテストで鈴鹿サーキットを訪れていたセナに、NSXのプロトタイプのステアリングを預けた。
セナはニューマシンのテストの合間に、NSXの開発陣を助手席に乗せて鈴鹿サーキットを走り、特にボディ剛性を高めたほうがいいとアドバイスを与えたそうだ。
当時のミッドシップ・ハイパフォーマンススポーツカーの中には、レイアウトの都合で不自然な運転姿勢を強いられる車もあったが、NSXはとても自然に運転姿勢がとれる
ボディ剛性を高めるとは、簡単にいえばボディをたわみにくくすること。そのためにホンダは、ドイツ(当時は西ドイツ)のニュルブルクリンク・サーキットを徹底的に走り込むことにした。
全長20.8km。アップダウンが激しく、ブラインドコーナーの多いニュルブルクリンク。今でこそトヨタクラウンまでもテストするような“開発の聖地”と知られているが、その頃に長期間現地に滞在してテストを繰り返したのは、日本の自動車メーカーとしては初めてだった。
その結果、50%も剛性をアップし、スポーツカーとしての運動性能の向上はもちろん、車との一体感ある走りや、乗り心地の快適さも得ることができた。
シートは本革張りの電動パワーシート。着座位置はかなり低いが、ダッシュボードもそれに応じて低いため視界はいい。
実はこの快適性が、NSXの提示したかった「新しい時代のスポーツカー」だと言われる。
FF(フロントエンジン・フロントドライブ)を得意としてきた同社が、あえて不慣れなMR(ミッドシップ・リアドライブ)に挑戦してまで実現したかったのは、スポーツカーだからってガチガチの乗り心地じゃなく、誰もが快適に乗れて、ドライビングスキルの高い人もそうでない人も楽しめるスポーツカー。
脱着可能なアルミ製ルーフを備えるタイプT。外したルーフはリアのウインドウ部分を開けて、そこにしまえる。
この次世代スポーツカー像が、世界中で賞賛を浴びたことで、フェラーリやポルシェといったスーパーカーの老舗たちも慌てて追従し始めた。
現在のスーパーカーたちが「めっちゃ速いのに、すっごく快適」なのは、NSXが時代を変えたからだと言っても過言ではない。
そんな次世代スポーツカーは、社内から選ばれた優秀な技術者たちによって丹念に、多くの手作業を伴って作られたため、1日の生産限度は25台。発売と同時に注文が殺到したため、一時は納車が3年待ちになった。
その後、さらに軽量化されたスパルタンなタイプRや、ルーフのトップを外してオープンカーとして楽しめるタイプTなどが加えられたり、幾度かのマイナーチェンジが繰り返されたのち、2005年12月末をもって生産が終了した。
NSXの開発地として選ばれたニュルブルクリンクは、かつて初めて同社がF1に挑んだ際のデビュー戦のサーキットでもあった、ゆかりの地。
約15年間の販売台数は世界累計では約1万8000台。
量販車としては大した台数ではないが、間違いなく日本の、そして世界のハイパフォーマンススポーツカーの新たな時代を切り拓いた“スーパーカー”だ。
「中古以上・旧車未満な車図鑑」とは……
“今”を手軽に楽しむのが中古。“昔”を慈しむのが旧車だとしたら、これらの車はちょうどその間。好景気に沸き、グローバル化もまだ先の1980〜’90年代、自動車メーカーは今よりもそれぞれの信念に邁進していた。その頃に作られた車は、今でも立派に使えて、しかも慈しみを覚える名車が数多くあるのだ。上に戻る
籠島康弘=文
※中古車平均価格は編集部調べ。


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