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50年後、100年後にタスキをつなぐために

ハウスメーカーやベンチャー企業での経験を経て、36歳で満を持して家業の小杉湯へ。しかし、平松さんの念頭に事業の拡大はなかったという。
「なぜなら、駅伝でいうところの1区と2区を、祖父と父が好タイムで走ってくれたからです。おかげで小杉湯は87年もの間、地元の人に愛される銭湯でありつづけている。
家業を継ぐと決めた以上、僕の役割は“事業の継承”。祖父や父から受け取ったタスキを、次の代、そしてまた次の代へとつないでいくことです」。
実際、小杉湯の経営状態は悪くなかった。斜陽産業ゆえに経営が逼迫していた銭湯を、若き後継ぎが立ち直らせた──そんなサクセスストーリーは、小杉湯には当てはまらない。しかし課題もあった。

「業界の縮小は既定路線ですからね。『銭湯は斜陽産業』という幼少期からの刷り込みもあり、大きな危機感をもっていました。ありがたいことに、小杉湯にはたくさんのファンがいるけれど、現状維持だけでは次の代までもたないかもしれない。
50年後も100年後も小杉湯を存続させるために、小杉湯の魅力をもっともっと多くの人に伝え、ファンを増やさねばと思ったんです」。
創業当時から変わらぬ重厚な建物、隅々までぴかぴかに磨かれた浴場、やわらかな湯、色鮮やかな壁画。一度でも小杉湯へ来て湯に浸かれば、ファンになってもらえる自信はある。この魅力を、どうやって多くの人に伝えればいいのか──。
答えは、意外と早く見つかった。


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