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愛娘のひと言でベンチャー企業から家業へ

残された時間のなかで次にチャレンジできるものを探していたある日、経営者向けの研修で魅力的な人物に出会った。その人は人事コンサルタントで、現在所属している会社をもうすぐ辞め、起業するつもりだという。
ぜひ一緒に働きたいと感じ、創業メンバーのひとりとして参加することに。人事・採用コンサルをおこなうベンチャー「ウィルフォワード」を3人で立ち上げた。
「人事の分野は初めて、もちろん起業も初めてなので大変でしたが、すごくやりがいがありました。仲間と一丸になって事業を拡大させていくのは楽しかったし、なにより会社をゼロから立ち上げる──ゼロイチを経験できたのが大きかったですね」。
ウィルフォワード勤務時代、仲間と。 写真提供:平松佑介
ベンチャーが瞬発力を要する100メートル走であるならば、家業はタスキを次のランナーへつないでいく駅伝。身をもって前者を経験したことで、後者が持つ強みや価値に改めて気付かされた。
「小杉湯は87年前から高円寺にあって、地元の人なら誰もが名前を知っている存在でありつづけています。よく考えたら、それってものすごい強みだよなあ、と。そう思えるようになって、ベンチャーの仲間にも家業の話をすることが増えたんです。
まだ漠然としていましたが、僕は将来、高円寺の文化発信の拠点のような場所をつくりたかった。それを人に伝えるとき、小杉湯を通じてやりたいんだよね、という言い方をするようになって。その頃から『継がなきゃいけない』が、少しずつ『継ぎたい』に変わっていったように思います」。
小杉湯に利用されるのではなく、自分が小杉湯を利用する。運命にコントロールされるのではなく、運命をコントロールする。「継がなきゃいけない」が「継ぎたい」に変わって、気が楽になったという平松さん。ベンチャーを立ち上げて5年が経ったころには、家業を継ぐことに対する迷いは完全に消えていた。
「最終的に背中を教えてくれたのは娘の言葉でした。当時はかなり忙しく働いていましたから、娘と過ごす時間を十分にとれなかった。すると、3歳の長女が『お父さん、明日は仕事お休み?』と聞いてきたり、朝の出勤前に『また明日ね』なんて切ないことを言うようになったんです。
どこの家庭にもあるやりとりなのかもしれませんが、僕は銭湯で生まれ育って、学校から帰ると家に両親がいる環境が当たり前でした。両親が僕にしてくれたように、僕も『おかえり』と言って娘を迎えてあげたい。そんな父親でありたいな、と」。

長女の言葉で覚悟を決め、すぐにベンチャーの仲間に伝えた。小杉湯に入ったのは、それから約1年後の2016年10月10日。
長女の4歳の誕生日であり、銭湯の日でもあるこの日、平松さんのいう「孤独な戦い」がはじまった。
後編へつづく……
プロフィール
平松佑介(ひらまつゆうすけ)●1980年、東京生まれ。小杉湯3代目。住宅メーカーで勤務後、ベンチャー企業の創業を経て、2016年から家業の小杉湯で働き始める。2017年に株式会社小杉湯を設立、2019年に代表取締役に就任。1日に1000名を超えるお客さまが訪れる銭湯へと成長させ、空き家アパートを活用した「銭湯ぐらし」、オンラインサロン「銭湯再興プロジェクト」など銭湯を基点にしたコミュニティを構築。また企業や地方と様々なコラボレーションを生み出している。2020年3月に小杉湯となりに新たな複合施設をオープン。
「37.5歳の人生スナップ」
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る
 
岸良ゆか=取材・文 赤澤昂宥=写真


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