30歳までのモラトリアム
家業を継ぎたい。腹の底からそう言える心境ではなかったが、祖父の代からつづく銭湯の灯を自分の代で絶やすつもりもない。大学生になっていた平松さんは、「いつかは小杉湯を継ぐ」ことを前提に、ひとまず就職活動をはじめる。
「とにかく30歳くらいまでは、外の世界に出て少しでも多くのことにチャレンジしようと決めました。そこで目をつけたのが不動産業界です。僕は文系で特別なスキルがないから営業しかできない。
住宅のように大きな商品を扱う仕事なら、成果を出すむずかしさ、成果を出したときの喜びが、ほかの分野より大きいのではと考えたんです。あと、いつか小杉湯を継いだときに、不動産の知識があれば役に立つだろう、とも」。
そう考えて入社した住宅メーカー「スウェーデンハウス」で、平松さんは八面六臂の活躍をみせる。入社4年目、最年少で全国トップの営業成績をあげて社長賞を受賞すると、以後4年間トップセールスの座を維持。
要するにめちゃくちゃデキるビジネスパーソンだったのだが、本人はいたって謙虚。「30歳までとタイムリミットを決めたのが功を奏したのだと思います」と当時を冷静に振り返る。
そして、当初の予定通りに30歳で退職。そのまま銭湯を継ぐ選択肢もあったが、決断しきれなかった。
「スウェーデンハウスでいろいろな経験をさせてもらって、満足のいく成果も出せました。それでもなぜ家業に入る決心がつかなかったか。正直にいうと、自分の世界が狭くなることが怖かったんです。
地域密着型の銭湯の経営者になれば、これまでのように外へ出かけることはなくなるだろうし、人との出会いもかぎられてしまう。仲間と一緒にチャレンジする、みたいなこともなく、孤独な戦いを強いられるんだろうな、と。もちろんいつかは腹をくくるつもりでしたが、30歳の僕にはまだその覚悟ができませんでした」。
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